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裸の武田鉄矢~語りの海援隊ライブ

2011-04-03
2日(土)渋谷CC LEMON ホールで、「武田鉄也・海援隊結成40周年スペシャルサンクスコンサート」を見た。日程的に、この週末は母方の親戚が集合する「いとこ会」が30年の長きに渡り続いてきており、今年も計画されていたのでコンサートには行けないと判断していた。しかし、地震の影響で「いとこ会」は中止。昨日、Webからチケット状況を確認すると、まだ残席があったので、母を誘いすぐさま2席を確保した。

 先週の小欄(28日月曜)に「金八先生」について書いたが、SP版の放映が終わったばかり。いやが上にも、武田鉄也のキャラクターは、「金八」に重なる。現にホール前で開場時間を待っていると、ドラマの「3年B組卒業生」が集まっていて、威勢のいい八百屋の娘役の女優さん(名前を忘れてしまいました)が、その集団を仕切っていた。その近辺に自販機があったので、飲料水を買って戻ろうとすると、暴力生徒から更生した「加藤優」役の直江喜一さんが、眼の前を通り過ぎた。思わず「優くん!どうも!」と突拍子もなく声を掛けてしまった。すると嫌な顔もせず、優しい笑顔で会釈をしてくれた。



 ライブは、「金八」色を前面に出すことなく、あくまで「海援隊40周年」がテーマだ。売れないフォークシンガー時代のスライド映像や苦労話。海援隊3人が、若い頃の長髪から、白髪になっていることに40年の年輪が感じられる。そんなライブの語りを聴いていると、「金八」の仮面を脱いだ裸の武田鉄矢が随所に顔を覗かせた。

 以前から有名な話だが、海援隊のライブは歌が少ない。多くの時間が、武田の語りで構成されている。谷村新司・さだまさし等の同世代深夜放送系フォークシンガーと、流儀を一にしている。海援隊の場合は、広告段階から「トーク&ライブ」と銘打っていることも多い。それがある意味で、武田の真骨頂とも言えるのかもしれない。その語りの巧妙さには引き込まれるものがある。実体験(虚実は問題にしないとして)に基づく具体的な姓を挙げた学生時代の体験談。福岡弁を巧みに用いた会話の再現。自身の肢体の特徴を存分に活かした滑稽な動きの利用。ライブでなくては伝わらない、語りの技術が存分に味わえるのだ。

 この日は、震災後という事もあり、ヒット曲「母に捧げるバラード」を特別バージョンで展開した。この曲自体が、「語り」により成り立っているとも言えるのだが、その味わいも新たに、歌詞の奥深さが心に響いてきた。是非これは、曲自体を聴いていただきたいので、今後、ライブを見る方の為にも「ネタばれ」は控えたいが、敢えて書くならば、神戸で阪神淡路を被災した武田の姉が、苦難に耐えきれず福岡の母の元へ帰った時、母が姉に告げた言葉だという。語りと同時に、武田の母の偉大さをひしひしと感じる歌詞である。


 ライブ終盤、武田自体がようやく「金八」役について触れた。定年でドラマシリーズが完結することが、「ゴールだと思っていたが、実はこれがスタートだった」と。武田は、この役と主題歌のヒットで、表舞台に立って来たのも事実であろう。だが、ライブで漏らしたのは、「海援隊の3人がいちばん仲良くなかったのは、ヒットの絶頂期にあった時だ」ということだ。ゆえに、武田は「金八先生、あの人は善い事をいいましたな~」と「金八」との峻別を意識した回想をして、SP版の中での台詞を再現した。裸の武田が「金八仮面」に変身した瞬間である。

 「贈る言葉」を歌う武田は、「金八」ではなく、フォークシンガー海援隊のボーカルなのだ。東京でのライブは久しぶりだという。あれほどの大きな会場であっても、客の問い掛けなどに呼応したり、問い返したりする。そんな掛け合いのあるライブが、この世代のフォークシンガーの魂であろう。たぶん小さな会場で、客の息を感じながらライブをすることで、初めて海援隊の真の魅力が分かるのかもしれない。

 フォーク世代のミュージシャンが、改めて日本に活力をもたらそうと、動き始めているのを感じる一夜であった。



 
追記になるが、帰路に立ち寄った居酒屋で帰る際に、トイレから松村邦洋さんが出てきた。「あっ!武田さんのライブにいましたよね!」と思わず問い掛けると、「僕のライブにようこそ~」とモノマネをしつつ、半乾きの手を差し出して握手をしてくれた。何ともいえないモノマネライブのおまけつきであった。
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