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藤原新也さん「死ぬな生きろ」展

2011-04-01
31日(木)

「心を捨て見えてくるもの 聴こえてくるもの

年齢を重ねることによって 可能となる新境地をここに」


藤原新也さんの著書『死ぬな生きろ』(スイッチパブリッシング刊)の帯に記された言葉だ。「心を捨てる」とはどういうことか?簡単に行き着く境地ではないはずだが、やはり実際に藤原さんの作品に触れなければわからないと思い、東銀座・永井画廊で延長開催されていた個展に足を運んだ。

その作品を受け止める自分自身の心をどれだけ澄ますことができるか。そんな事を念頭に置きながら、銀座4丁目から晴海通り三原橋交差点を左に曲がった。画廊の前に着くと、レンズ状の硝子を通して、巨大な書「死ぬな生きろ」が目に飛び込んできた。その筆致の迫力に、まずは圧倒。縦2m半、横4mはあるだろうか、その紙面全体が心の奥にズシリと語りかけてくる。画廊に入り、更にその筆法をなぞりながら書かれた過程を想像する。「死」と「生」の文字は、飛沫がほとばしる起筆。かといって力んだ力技を感じさせない筆の運び。しばらくは、その書の前で立ち尽くす。

八十八作品。四国巡礼をテーマにした写真と書が並ぶ。凡人なら見過ごしてしまうような素朴な風景を、見事に写真で切り出している。無を受け止める心とでも言おうか、「心を捨てる」という感覚の真似事を体験した気になる。

作品に付せられた書の温かみ。そして語り掛けるような言葉の力。定型詩の短歌・俳句とも違う、言葉の重み。まさに文字が喋るというような造形美と含蓄の融合。そんな作品を追いながら、次第に雑念に満ちた自分自身の心が洗われる思いがしてきた。


3・4・5Fまで計4フロアーにわたる作品に、時間を忘れて没入。八十八夜までの作品に触れると、その時点で自分の心が澄んでいることを自覚。「心を澄ませよう」などという意図自体が雑念であり、作品から受け取る力が、自然と心を洗う感覚が得られた。

 3Fで著書も購入し、その場にいらした藤原新也さんに自筆サインをいただく。「有田芳生さんのコメントに誘われて伺いました」と申し上げると、「彼も被災地に行ったみたいだね。石巻あたりをウロウロしたらしい。」と親しげに返答していただく。作品同様に温かい笑顔を浮かべ、世界を巡礼してきたことを感じさせる肉厚な手を差し出して握手。「年齢を重ねることによって可能になる」という人間観に触れる。


奇しくも2010年度最終日。今年度も、いかに雑念を多く持ちながら生きてきたか。そんな自分を省みたくなり、壹眞珈琲店で藤原さんのエッセイ「心を捨てる」を読む。周囲での話し声が当初は気になったが、次第に書物の中に息づく言葉の力に魅せられる。


「言葉とは不思議なものだ。その単純なひとことが彼女の命を別のステージへと導いた。実体が見えないにもかかわらず“言葉”は人の心に力や喜びを与え、逆に怒りや哀しみに陥れ、時には人を死に至らしめ、一転して人の命を救う。」

「人の脳は奇形と言えるほど大きすぎた。さらにこの時代、脳や心のみを重要視し、肉の心を軽視する傾向が強い。私たちは肉の法則に回帰することによって自身の恒常性を取り戻す必要がある。「心を捨てる」とはそういうことだ。」



最終頁・八十八夜「大輪」という言葉が添えられた写真の花が、優しげに微笑んで見えるようになった。


うん!少しは「心を捨て」られて、新年度へと時間の流れは進む。
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