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跳梁跋扈する言葉の余白

2011-03-22
21日(月)表現された言葉を額面通りに受け止めるかどうか、甚だ迷う場面に遭遇することがある。また自らが発信した言葉から、実は伝えたいと思う内容を汲み取って欲しいと願いながら発言することもある。日常的な伝達を目的とした内容なら何ら意識することもないかもしれない。しかし、比較的公的な場面で語られる作られた言葉には、その背後にある思考を透けて見ようとするのが、癖になってしまっているようだ。

言葉の余白に入り込み、果たして発言者が日常において、どんな行動をしているかと比較している自分がいる。大きな志をもって生きるべきだと語る言葉の余白には、むしろ小さな志に収斂していくべきだという思考が見えたりする。行動と言葉には確実に距離があり、その距離を意識すればするほど、余白に挿入するコメントが跳梁跋扈してくるのだ。

音として発せられる言葉は、文字よりも力を持つことがある。一度、音として発言されると、文字情報以上に脳裏に刻まれている場合があり、その事に対してこちら側から指摘し反復したりすれば、自身の無意識の中に、その発言が暗躍することがある。こんな点に言霊信仰の科学的・理論的な解明の糸口があるような気もする。音読は脳に刻まれるのである。

氾濫するWeb上の言葉に対しても、些細な言葉尻を指摘するものや、余白を読めば指摘するほどのものではない事例などを目にする場合がある。その都度、言葉の余白に対して均衡をとった態度で適度に意識すれば、それはそれで楽しめる内容になるはずである。


このような言葉の余白にも、言語としての日本語の特徴が跳梁跋扈している。
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