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「沈まぬ太陽」に思う

2009-11-16
15日(日)予定より2時間の朝寝。9時には起きて午前中は原稿を書いた。まあ一段落、あとは見直しをすればいい。自分なりにテーマを掘り下げられているかが気になるところ。

 朝の2時間分はランチと読書の時間になるはずだったが、映画の開始時間が迫っていたので、家で簡単な食事を済ませて銀座へ向かう。TOHOシネマズスカラ座で「沈まぬ太陽」を観た。ネットで座席予約をしておくべきだったと後悔したが、G列とけっこう前の方しか席がないという。仕方ない、これも運命。

 映画の冒頭で御巣鷹の悲劇が語られる。その時、自分はどのようにあの航空機事故を捉えていたかというリアリティと、いやが上にも重ねてしまう。その上で、搭乗して犠牲になった個々の人々の生き様に触れると、改めて事故の悲惨さに胸が痛む。先日、映画の中で「国民航空」という名によって連想される会社が、イメージを悪くするという理由で映画を批難したという新聞記事を読んだ。その批難によって、むしろ「国民航空」という苦肉の虚構を無きものにして、映画そのものがよりリアリティを持つことになった。内部崩壊という現実は、未だに社内に充満しているのだろうか。「批難」する感覚を疑う。

 渡邉謙演じる「恩知」の生き方とは、何なのだろうか?映画という物語として見れば、主人公たる英雄として、劣悪な企業体質にも信念を失わず「男の矜持」を貫いた人間として、共感を誘うはずだ。「信念を貫く物語」は美しい、されどそれ自体が日本社会的な思考そのものでありはしないのか。「恩知」と対象的な生き方をした三浦友和演じる「天元」(漢字はこれでよかったか?)に代表される、腐敗した企業内で自己の出世と利益を最優先にしている人間像を、むしろ炙り出す道化役のようにも見えてくる。家族や自己を犠牲にして「恩知」がアフリカで見つけたものは何か?その自然に対する畏敬の念に目覚めたことは、彼にとっての唯一の発見であっただろう。しかし、巨象を一撃のもとに倒した場面があるのは、果たして巨大企業の腐敗を自己の手で仕留めようとする象徴的な意味があるのだろうか。巨大なる自然に対抗しようとして生きた男が、自然に同化する域に達した物語だと読んでいいのだろうか。原作を読んでいないので何とも言えないが、どうも一般的な捉え方とは異なる感想を抱いた。

 その上で、最後には「御巣鷹の悲劇」が、映画の額縁からはみ出して来て、その犠牲者のご冥福を祈る気持ちを、新たにさせた。日本的な政治・企業体質とは何なのだろう?その組織の中での個という存在が、どのようにあるべきかという問いを反芻しつつ。

 帰路途中で携帯に電話。両親とその知り合いの登山家の方と4人でいつもの寿司屋へ。店内は繁盛しており、初めて奥の座敷に上がる。それはそれでなかなか落ち着いていてよい。しばし登山とレスキューの現実についてなど四方山話。「沈まぬ太陽」と自己のあり方を語る時間はなかった。

 帰って一旦はソファーに座るが、またこのまま寝てしまいそうなので、早めにベッドで就寝。
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