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記録:2011年3月11日午後2時46分以降の自分(東京在住)

2011-03-13
11日(金)~12日(土)早朝迄。昼過ぎまでの仕事を終えて、一時的に帰宅し荷物を置いた。昼食を済ませていなかったので、近所のカフェへ向かう途中だった。自宅マンションを出て数十メートル歩いた交差点で、眩暈のごとき妙な感覚に襲われた。歩いている最中に地震を感じたのは初めてかもしれない。見上げると幹線道路なので比較的高い街灯が設置されているが、それがメトロノームのように振れ始めている。これを見た瞬間、ただの地震ではないことを悟った。傍にある消防署から消防士が外に出てきて、緊張した面持ちで出動態勢を整え始めている。他のビルからも人々が次々と外へ出てきた。幸い周囲のビルから外壁の崩落などは起こらなかったが、道路からやや奥まった場所に建物がある駐車場まで退避し、しばらく様子を窺った。これが2011年3月11日午後2時46分から数分間における小生の行動記録である。

 空腹感は何処かへ行ってしまった。まずは自宅に戻り、マンションの管理組合理事長という責務から、何らかの損傷が起きていないか外観を目視した。エレベーターは緊急停止して内部を映すモニターは真っ暗な表示である。中に人がいないかどうか、扉をノックしてみるが、反応はないのでたぶん無人と確認できた。それにしてもあと1分遅くエレベーターで降りていたら、小生が密室に暫くの間、閉じ込められていたに違いない。その後、壁に掲示してあるエレベーター管理会社に電話をするが通じず。その間に、iphoneで情報収集。Twitterを見ると宮城県沖三陸を震源とする大地震であることがわかった。

 公的な責務を一通り遂行したかと思ったら、自宅が心配になってきた。外階段を12階まで昇る。日常から歩くことは好きであるし、ジムのトレーニングの成果もあって階段昇りには何ら抵抗も負担も感じなかった。そして到達した自室の玄関を開けた。

 玄関のすぐ先にあるニッチにある大事な写真が、廊下に落下している。しかし幸い額の硝子は割れていない。安心しながら室内に入ると、トイレの前の廊下に水が流れ出している。ニッチにあった花瓶が落下して割れていたが、そこには造化が飾ってあったので、水を入れている訳はない。この水は?と疑問に思いながらも、更に室内へ。幸いリビングのTVは、台の足部分のキャスターを固定していなかった為に、スケート選手のように回転したのか、背中をこちらに向けてはいるが転倒は避けられていた。オーディオのスピーカーも健在。台所では、シンクの引き出しが飛び出してきていたが、奥の角に固定しておいた食器棚は転倒もせず、奇跡的に中の食器類も、グラスが内部で倒れているぐらいで収まっていた。細い脚線美のワイングラスまでもが耐え抜いたようであった。

 比較的安心した光景を見ながら、小生の一番大切な書斎を覗くと、目を疑う光景が広がっていた。三段式スライド式の中心的な書棚が手前に転倒。向かいにある硝子扉のある本棚に突き刺さっていた。大量の本が散乱し、自慢のスライド式本棚は天板と棚が剥離し、裂けた素材の木が露出している。その下敷きになったプリンターや引き出しは、どうなっているかもわからない。幸いなのは、机に転倒してくる棚がなかったので、小欄更新のために使用している、最新のPCは無事で机上にその姿を見せていた。

 この部屋に引っ越してきてから資料整理を含めて、かなりの労力を費やしてきた書斎が、一瞬にしてただ本が散乱する場に変異してしまった。自分が一番落ち着ける場所であったので、そのショックは大きかった。しかし、なぜ転倒防止を完璧に行わなかったのだろうか。天井の梁にかなり接近していた本棚は、傾いても倒れるとは想定外だった。狭い距離であっても突っ張り棒などを設置し、天井と床にへばり付くようにしておくべきであった。覆水盆に返らずである。

 たぶん、あの長い横揺れ。最近は報道などでも「長周期振動」などと呼んでいるようだが、そのせいで奥にある本が自重で次第に手前の棚を押し返してきたような形跡がある。やはり12階に住んでいるという自覚が不十分であった自分を責めるしかなかった。

 そのショックと空腹感で、甚だ空しい気持ちになったので、改めて馴染みのカフェへ。既に時計は4時を過ぎていたであろうか。幸いカフェは1階であったからか、食器の落下転倒などもなく、通常営業を続けていた。しかし、長い横揺れの影響はここにも出ており、パスタを茹でる大鍋の沸騰したお湯が揺すられて、店長にかかりそうになったという。それでも、温かいパスタを出してもらうことができて、何とも気持ちが和んだ。空しいときには「空腹でいることと、独りでいること」が一番いけないという。

 しばしカフェで心を落ち着かせた。小生の自宅の状況を話すと、店長夫妻も自宅の部屋が気になるという。次第に外は帰宅を徒歩でする人々が歩く姿が目立ち始めていた。店長夫妻もやや早目の閉店と徒歩での帰宅を意図したようであった。

カフェから携帯メールをして、何とか都内に住む両親が無事であることは確認できた。しかし電話回線はほとんど不通。メールは何度もトライしないと送信できない。



 カフェから帰宅しTV報道を見始めると、小生が書斎の書棚転倒などでショックを感じていたことが、申し訳なく思えてきた。そこからしばし、TVの前から離れられなくなり、余震の続く深夜まで見続けた。大変なことが起きた、この大震災は何ということだろう。言葉がない・・・

 今ここに命のあること。ただそれだけをありがたいと思わない限り、罰が当たる。たぶん今までに日本人が経験したこともない震災が東日本を襲った。



 深夜になって米国留学中のウメ子から電話。「メールぐらいくれればよかったのに」という。PCは書斎の奥に閉じ込められ、携帯回線が混乱している状況を説明。その後、小欄に書いたような午後2時46分以降の行動を、克明に話した。大切な試験を前にしていたウメ子であったが、このタイミングで電話をくれる気丈さが嬉しい。些細なことでやや気弱になって、自己の周辺の人々に気を配れなくなっていた自分を恥じた。

 余震が続く中、もしや更に大きな地震が東京を襲うかもしれないという不安を持ちながら、安眠には程遠いが目覚めたりウトウトしたりと寝床で数時間。

12日早朝になって、仙台在住の知人にメール。心配は高まるばかり・・・だが術もない。返信を待つばかりである。
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