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宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第4章『死か藝術か』(その1)

2023-11-26
悔恨と苦痛ー牧水が自らを新しくしようとした頃の歌
心境が変わると文体が変わる
絶望的自虐的かつ思索的意欲的

宮崎大学公開講座2023後期第1回目の「牧水をよむ」を開催した。9月9日には「特別公開講座」として「牧水没後95年」の節目に大学木花キャンパスにて、40名以上の方々に受講いただいた講座を受けての後期である。9月の講座では第四歌集『路上』から若き日の牧水の恋の情熱と懊悩、また故郷への思いなどを読み解いた。その後、時は明治44・45年に至り小枝子との苦悩の恋愛も終わりをみた。第五歌集『死か藝術か』は、その頃の自らを変えようとする心を歌に込めた作品が多い。ゆえにあらためて「何故に生きるのか?」と「死」も見つめた絶望的自虐的な歌も少なくなく、人間の存在そのものの奥底を見据えた思索的で変革に意欲的な歌が収められている。いつものようにゲスト講師の伊藤一彦先生と僕で各10首の歌を選び、前述したテーマをいかによむかを対話的に講義を展開した。

当該歌集巻頭は「蒼ざめし額つめたく濡れわたり月夜の夏の街を我が行く」という歌で、「蒼ざめし額」はまさしく「死者」のイメージを伴う。「月夜」という場面がさらに「つめたく濡れわたり」を強烈に印象づける。一首は「三人称的視点」で自らを見つめるようで、結句は「我が行く」と「我」を詠むあたりが牧水らしい。他にも「衣服(きぬ)」を脱ぎ捨てて森に寝ようという趣旨の歌や秋に花が咲くことは「虚偽」だと珍しく「漢語」を使用した牧水の歌を僕は取り上げた。また伊藤先生は、自らの四肢を切れ、さらに「飛沫(しぶき)」や「岬の尖利」が自らを刺せという自虐性の先に「秋と親しむ」や「旅をしぞ思ふ」という牧水らしい着地を詠う歌を取り上げた。また「死は見ゆれど手には取られず」という歌も印象的で、「、(読点)」を多用し新たな韻律への試みと挑戦をしている点も指摘された。それでもなお、過去の恋人に似た友人の妻の「すりつぱ(スリッパ)」を持ち去ろうとか、過去への悔恨を深く滲ませる歌は共通して取り上げた。また同歌集には石川啄木の死を看取った歌が掲載される。短期間とはいえ詩歌の親友、北と南の対照的な出身地の盟友の死は、牧水に大きな衝撃を与えた。しかし、牧水は既にこの頃、新たな意中の人がいた、それが太田喜志子である。明治45年3月の信州と甲斐国への旅は、牧水の新たな人生の雪解けの中で見た桜が印象的だ。

啄木との新しい時代の短歌への模索
「眼をあげよもの思ふなかれ秋ぞ立ついざみづからを新しくせよ」
(その2)は明治45年4月以降の歌、元号も変わり牧水にも大きな浪がまた押し寄せる。


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