霧の晴れない道を短歌で照らしたい
2023-11-15
現実に帰って心に晴れぬ霧がもやもやと先週末は短歌のことばかり考えられる爽快な晴れの心
「愚痴」にならぬように短歌で道を照らす
「愚痴」を『日本国語大辞典第二版』で引くと、「(1)仏語。愚かで思い迷い、ものの理非のわからないこと。また、そのさま。三毒煩悩の一つ。無明。愚痴心。(2)言っても仕方ないことをくどくどと嘆くこと。言ってもかえらぬこと。益のないことを言うこと。泣き言。」とある。用例を見ると(1)は奈良・平安から使用され、近世になって(2)の用例が出現し一般用語として定着したようである。あらためて(1)の意味を噛み締めると、「愚かで思い迷い」することであり「理非(道理に合っていることとそむいていること)のわからない」ことで、「煩悩(心を煩わし、身を悩ます心の働き」の根元的なものと理解できる。現代語としての語義(2)に沿うならば、「仕方ない」「かえらぬ」「益のない」ことなのだ。
先週末は『心の花』創刊125年記念会にて、東京で多くの歌友に会うこともでき脳内の全てを短歌に向けられる誠にありがたくも爽快な時間だった。「おもしろうてやがて哀しき鵜舟かな」の芭蕉句を引くまでもないが、月曜から現実に戻った段差はあまりにも大きい。心のうちにいくつもの道があるが、いずれも霧で先行きの見通しが立たないような感覚に襲われている。その複数の道がそれぞれに混じり合い、錯綜をさらに強めてくるような状態である。だがどの道について語っても、それは「愚痴」にしかならないのではないかと自省するのである。だが僕には強い味方がいる、それは昨日にも記した俵万智さんの『アボガドの種』の歌たちだ。歌を読めば俵さんの日常にも、様々な苦労や悩みがあるのはわかる。だがその都度、歌にすることでそれは「愚痴」ではなくなる。125年記念会歌会の歌評で述べられた「人生を変える歌」とは、まさにこうして日常の愚痴を短歌で照らすことで昇華させることで生まれるのだろう。煩悩を溶かすための歌、それはまさに己の弱さを知ることでもある。
「くどくどと嘆くこと。泣き言。」
いやいや僕たちには「歌がある」のだ
「陽はまた昇る」ゆえに「歌を詠む」一日を人生として。
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