古歌と短歌界の現在ー『心の花』創刊125年記念会
2023-11-12
混声歌体(神の声+人の声)信綱の勇気と戦争と貧困と
自分だけの歌を詠む理由ー結社は親戚のようで
『心の花』創刊125年記念会が、東京新宿で開催された。竹柏会としては2019年7月の徳島での全国大会以来4年ぶりの全国規模の集いとなった。毎月の誌上で投稿歌を読み合い、お名前とイメージが形作られている方々と、こうして1年に1度でもお会いできる機会は貴重である。冒頭の佐佐木幸綱先生のご挨拶に引き続き、森朝男先生のご講演「和歌と短歌」であった。特に覚書としておきたいのは、「混声歌体(二部合唱)」という万葉歌の捉え方だ。換言すると歌が「神の声+人の声」となっており、その段差に飛躍があるという読み方だ。枕詞そのものが「神の声」なのであり地名などと緊密に結びつくが、その発生は未詳なものが多い。これはまさに詩歌の祭祀起源説を考える上で大切な事で、人類史の上での視点でもある。また『古今集』時代になって紀貫之が「やんちゃ」をして「ことばのフットワークの軽快化」をもたらしたという視点も大変に興味深い見方であった。
座談会は「短歌界の現在」俵万智さんを司会に、佐佐木頼綱さん・佐々木定綱さん・駒田晶子さん・大口玲子さんらが闊達な意見を述べ合った。ここでは特に各三首挙げられた引用歌から印象深い歌を覚書としておきたい。「花さきみのらむは知らずいつくしみ猶もちいつく夢の木実を」(佐佐木頼綱引用の佐佐木信綱の歌)「勇気」を読める歌、歌そのものだけでなく季節を過ごし言葉を交わす事そのものが「短歌」であり「結社の視点」が見えてくる。「百五十万の死をおもえども思われず人間の髪の数は十万」(大口玲子引用の吉川宏志の歌)自分と理不尽なアウシュビッツの死をどう向き合わせるかという歌、戦慄の世界情勢を我々は詠んでいけるか?どう詠むか?。「落ち着いてゐられる人はそれだけで違うたとへば年収がちがふ」(佐佐木定綱引用の濱松哲朗の歌)怒りが込められており「貧困」と「戦争」はどこかで繋がる。「この町の海には言葉が浮いている僕はさよならばかり集めた」(駒田晶子引用の星野永遠・牧水短歌甲子園での歌)短歌を信じてそこに託す心のあり方。最後に結社のあり方について、親戚の様子を伺うような場であるという俵万智さんの言葉が印象深く刻まれた。
「心の花賞」「群黎賞」授賞式
140名ほどの活気ある集い
歌をよむための「此処」がある。
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