何をするかとどう生きるか
2023-10-22
短歌作りにも必要なこと「独自の発見」私だから見つけられたもの
「自分だけの表現」工夫して人に伝えるもの
なぜ日本文学研究をし国語教育についても考え、中高現職教員を長年務めたのちに大学教員になったのか?を自問自答しても簡単に答えを述べることはできない。実家が商家であったためそれを継ぐのか?何よりも研究や教育にはかけ離れた家で育ち、むしろ社会的な事情に適応した生き方を選択するよう母には教えられてきた。「教員」の世界にありがちなある種の「お山の大将世間知らず」にはなってはならない、とは思いながら教員になってしまった矛盾。もとより教員というよりも世間を知るために「文学」を学びたかったのがその原点であった。それゆえか今も短歌から多くの「人の生き方」を学んでいる。こうした意味で研究者や教員と比べるものではないが、歌人の方々は社会を繊細に深く見つめながら、「何を」と「どう生きる」を豊かに自己の内に持っていると思う。
どのような職種でも、働くことは尊い。人は働きによる何らかへの貢献度を糧に生きるものだ。家族のため組織のため社会のため世界のため地球のため。かの坂本龍馬は「私心があっては志と言わぬ」といった趣旨のことを述べたというが、「働く」をどう捉えたらよいか?は近現代人の永遠のテーマかもしれない。「働く」は「何を」に当たるのだろうが、それが尊いからといって「どう生きる」が歪んでよいわけがない。短歌一首が直立するように、「何を」と「どう生きる」を両立してこそ他者に受け入れられる生き方になる。人の生きるの場合、表面に出てくる場合と、外からはわからない場合がある。生きた短歌にするためには、「どう生きる」=「表現する技術」が大切なように、他者との対話を丁寧に積み上げながら独りよがりにならない生き方が求められる。家族とてそれは自らが伝えようとしなければ、伝わらないのだ。
あらためて自らのそして両親の生きるを考える
生きる積み重ねが今を作っている
この宮崎で考えねばならないこと。
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