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「国語嫌い」だが「日本語・日本文学好き」

2023-10-19
学習課程の中の「国語」
作文も説明文も古典も短歌・俳句も嫌い
だが表現の面白さを知れば「日本語・日本文学」は好きになる

午前中は非常勤先での担当「国語科教育法」「文学」、さらに午後は本務校での「国語」と昼休みを挟み連続3講義が続く1日。この三つの担当科目だけを考えても、「国語」なのか「文学」なのかと諸々の差異や葛藤を伴いながら講義内容を編成している。だが共通して提供したいと思っていることに、「国語嫌いから抜け出し日本語・日本文学を好きになる」という壮大な「裏テーマ」を信念としている。それは講義の最初に「国語で嫌いだったこと・面白くなかったこと」を書いてもらうのだが、多くの学生が「作文・音読・説明文・要約・古典・短歌・俳句」などが嫌いであると言うのである。主に小学校教員を目指す学生たちにとっては、この精神的な障壁をなんとか取り払わねばならないと強く思う。なぜなら小学校で一番授業数が多いのが「国語」だからである。

中高国語教員に比べて専門性は高くないものの、多くの授業をする小学校教員の「国語観」が否定的なのは大きな問題であろう。何事でも自らが「苦手意識や嫌い」だと思っていては、教える児童らが「好きになる」授業をできないはずだ。せいぜい学習者が反骨精神で、主体的なやる気を起こす僅かな望みに期待するしかない。それゆえに「教員養成課程」においては、講義の看板を問わず学生たちの「国語嫌いから脱皮する」機会がぜひとも必要だと思うのだ。もとより学生たちは「日本語・日本文学」を嫌いなわけではない。少なくとも「短歌」に関しては、「ハードルが高い・わけがわからなかった」など小中高までの思いを明らかに好意的な方向に転換できる内容を提供している。総じて学生たちの気づきの記述から思うに、「日本語・日本文学が嫌いなのではなく、『国語』の授業方法そのものに嫌悪感を抱いている」のだと思うことがしばしばだ。「国語」という明治以来に塗り固められた虚像に、多くの学習者が嫌悪感を抱いていることを真摯に受け止めるべきだろう。

日常の言語生活に連なるものゆえ
自らの思考そのものを好きになるように
言葉や文学には大きな発見があることに期待を持たせたい。


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