思いを寄せるとはどういうことか
2023-10-08
「今此処」で起きる感情例えば、この人に心を寄せたいと思うこと
それは何倍もの蓄積された記憶データから生じているのかも
例えばいま「この人に会いたいか?」と問われたなら、心を寄せる人とそうでない人が誰しも心の中で分かれるのではないか。もちろん「会ってもよいが会わなくてもよい」という曖昧な感情の対象もいるだろう。人は「今此処」において「思いつき」かのように、判断を感情に任せているように思いがちだ。だが果たしてその場その場の思いつきかというと、そうでもなさそうだと自分自身を分析して思うことがある。「今此処」の感情は、それ以前の多くの記憶データの積み重ねから経験的に判断しているのではないか。「この人に会ったらこう言われるだろう」と思うのは、会った回数や接する内容の深浅にも拠るのだが、明らかに記憶データからの「判断・想像」を自分の中に抱くからである。
一方で「記憶データ」は、どれほどの精度なのかの思うこともある。少なくとも「記憶=経験」としておくべきで、他人の話から形成された「経験らしきもの」を自己判断の材料にはすべきではないだろう。しかし、他人の話から次第に自らの記憶の隙間が埋められていくような場合もある。むしろこれまで感情のみであまり気づかなかった「恐怖心」とか「嫌悪感」に、背景となる理由があることが確かめられる。他者から見れば薄情に見える行動でも、自己の内では許し難く耐え難い世界で此処にしかない感情に左右されていることもある。このように考えると、他者の言動を簡単に「こうだ」と決めつけるのは避けた方がよさそうだ。僕らはあくまで他者の「生きる」のうちの「氷山の一角」しか見て判断していない。それだけに、誰彼問わず人と接する際には「思いやりと感謝」を忘れずにいるべきとあらためて思うのだが。
人と会った回数よりも質
蓄積され簡単には拭い去れない記憶データも
それにしてのやはり「今此処」が大切であるのは間違いない。
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