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人生は明日への夢を語ることさ

2023-09-22
なぜ短歌にこだわるのか?
なぜ苦しいのに誠心誠意向き合うのか
なんのためではなく明日へ夢をつなぐ

今もまた、明るい朝焼けの東の空が眼の前に見える。平穏に9月22日が迎えられ、こうして文を綴ることができる。小欄ひとつにしても、「何のため?」と突き詰めて考えても答えはない。昨日の我が身を省みる?いや、明日へと夢に向かい生きる証?「・・・のため」などもはやどうでもよくて、ただ我の中の何かに突き動かされてぞれぞれの「今朝」を書き綴るだけだ。この「突き動かされる」という感覚は、ある意味でとても大切な感覚ではないかと思う。こうして夏が終わり秋が目覚める頃になると、なぜか大きなものに突き動かされることが多い。人生は明日の夢を語ることさ、と誰かが僕に告げくるのである。

朝の連続テレビ小説「らんまん」も大詰めだが、大正12年に関東大震災に見舞われ槙野万太郎の植物学への情熱をあらためて浮き彫りにしている。完成した植物図鑑の原稿を含めて長年の蓄積である標本が灰燼に帰すのは、ドラマとはいえ一研究者として見るに耐えないほどだ。ドラマでも万太郎はどんなに生活が苦しくとも、社会的地位によって蚊帳の外に置かれようとも、日本中の植物と語り合うという夢を諦めなかった。この点は明治大正時代の生き方として、若山牧水に通じるものと思っている。自らの生活の苦悩や社会的立ち位置が不利でも、ただ明日を夢見て突き動かされるものに向き合う。人生の大切な芯を外してはならない、ということだろう。

あの日から何度目の夏が来ただろう
我を突き動かすものに正直たれ
くり返すが、人生は明日の夢を語ることさ!


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