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高校野球の新しい姿ーあの決勝から34年目の夏

2023-08-24
甲子園のベンチにいたかもしれない人生
新米教師3年目に抱いた将来像
「ああ 栄冠は君に輝く」

夏の甲子園決勝の仙台育英、この光景には並々ならぬ人生の感慨を抱く。1989年第71回全国高等学校野球選手権大会決勝は、東東京代表・帝京対宮城県代表・仙台育英の一騎打ち、その際の3塁側アルプススタンド帝京大応援団の引率教員として僕は熱い時を過ごしていた。結果、2ー0で帝京が初優勝、「白河の関越え」と騒がれた仙台育英の初優勝を阻んだ。あの夏から遥か34年目の甲子園の決勝である。右も左もわからず教師になって3年が経過した頃、僕は少年時代からの野球への情熱が再び燃え上がっていた。一教員ながら野球部の合宿に帯同させてもらったり、日曜日の関東圏の強豪校との練習試合にも連れて行ってもらっていた。ちょうど野球部コーチを同期の教員が務めており、彼との意気投合も野球部に身を寄せる大きな要因であった。「甲子園優勝」の感激を味わってしまった僕は、密かに人生の将来像を抱いた。いつの日か「部長(引率教員)」になって甲子園のベンチに入り、そして再び「優勝」を味わってみたいという夢である。その後、約10年間の同校での教員生活でその夢が叶うことはなく、僕は再び文学研究を志すため大学院への門を叩いた。現在の職業に就けたのも、この岐路における決断のためである。

昨日の決勝は、神奈川県代表・慶応が107年ぶりの優勝に輝いた。試合後の監督インタビューで「高校野球の新しい姿」という表現が聞かれた。前述した経験を経て、僕なりに「高校野球」とは何か?という大きな問題意識も常に持っていた。選手宣誓の際の怒鳴り口調、監督に隷属的な選手のあり方、その象徴としての坊主頭、外からは「爽やかに見える光景」が実は多くの問題を含み込んでいないか?理論上は明らかにセーフの確率が下がる一塁へのヘッドスライディングに顕著なように、世界を目指す野球になっていない要因が讃えられる矛盾にも疑問を抱いていた。もし僕が高校野球に関わってしまっていたら、眼には見えない「高校野球のもののけ」と闘って討ち死にしていたかもしれない。ゆえにこれまで甲子園を観る僕の心は、いつもある種の葛藤を抱えていた。しかし昨日の決勝で対戦した2校、慶応と仙台育英の野球に向き合う姿勢には「新しい姿」が存分に見られ好感が持てた。やっと選手たちがまさに主体的に「野球を楽しむ」ことができるようになった。今春のWBC優勝でも明らかだが、監督が選手個々の個性を大切にしてこそ野球チームとして輝くことを忘れてはならない。ゆえに慶応の監督さんから「選手がよくやってくれました」というよくある「高校野球コメント」は聞かれなかったように思う。「よくやってくれた」という趣旨には、どこか監督主導の隷属性が感じられるからだ。ここまで来るのに「平成」の時間を全て要したということだろうか?決勝の野球にある種の納得を覚えつつ、34年間の僕の生き方も間違ってはいなかったという思いに至った。

母校大学のライバル校ゆえに応援歌が歌えたり
新しい時代を模索してこそ「陸の王者」であろう
あらゆる分野で「世界に認められる」ために旧態から脱皮せねばなるまい。


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