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敬愛するために競うー第13回牧水短歌甲子園

2023-08-21
なぜ?言葉のやり取りで泣けてくるのか
「競う」「対戦する」とはまず相手を敬愛することから
第13回目を迎え全国規模の大会となった証として

8月19日20日と2日間にわたって開催された第13回牧水短歌甲子園。その熱くも冷静で、新しくも日本文化の源流に乗った展開に固唾を飲み、「1年分」とも思える短歌の学びと心の汗に浸る時間を過ごすことができた。よって珍しく昨日は小欄をお休みし、日向市の地で短歌にだけ専念していたことをまずはお断りしておく。今年の大会への応募は「36校61チーム」過去最多を更新しており、第13回目を迎えてますます全校規模の大会に成長して来た。向こう3年間は感染拡大でオンラインを余儀なくされることもあったが、今年は対戦後の壇上での握手や出場校交流会など抑制されいた大切な時間も復活した。初日19日(土)予選を通過した12チームが4リーグに分かれての各2試合ずつの対戦、抽選によるリーグ構成となるがそれぞれの対戦に各校の個性が光り始める。リーグ戦は第1〜4試合が題詠「新」、第5〜8試合が「競」、第9〜12が本大会恒例の「恋」であった。「新」では「新型コトバウイルス」が目を引き「新学期」などには高校生独特の心のあり様が覗き見られた。「競」では高校生が「過当競争」「競売」と表現するほどの社会に曝されていることが実感できた。「恋」ではもちろん高校生なりに恋に燃え、若き幸福とは何かを考えていることが切実かつ肯定的に三十一文字に表現されていたと思う。

今回の大会では、個人的にも大きな再会があった。出場校の一つ、埼玉県星野高等学校の顧問教諭が大学院研究室の後輩という縁に恵まれた。修了後はなかなか会う機会がなかったが、この上ない場所で再び巡り会うことができた。大学院当時は相互に短歌創作には目が向いていなかったが、そえぞれに上代・中古の和歌研究に発し現在は歌を詠むことも重視している共通点もある。出場校が次第に全国規模になって来たことで、この様な縁を牧水先生が用意してくれたことも僕にとって貴重であった。20日は朝から準決勝・決勝、フィールドアナウンサーを務める久永草太さんは「1日目の方が勉強になる、だが2日目はドラマになる。」という名言を披露し、頂点を目指す舌戦がくり広げられた。前日の題詠「競」でみんなが考えたことだが、人はなぜ競うのだろう?同様になぜ新しさを求め?恋に身を焦がすのだろう?準決勝の題詠は「言葉」、これはなかなか難しいと目されていたが、特に三十一文字に向き合っている高校生らの「言葉」に対する具体的で鮮烈な表現には手に汗を握る展開であった。この大会中、対戦の歌を読むだけで、また舌戦を目にするだけで涙腺が緩む機会が何度もあった。それもすべて「言葉」により具体的なイメージを僕ら観客が持てたからだ。あらためて「『説明』でなく『描写』だ」を強調する俵万智さんの講評が胸に響く。決勝は自由題、そこにはまさに等身大の高校生らの姿がイメージされた。されどなぜ短歌を競うのか?それは古代の歌垣や宴席歌、そして平安朝以降の歌合に遡る。それは決して「優劣」のみならず、相互の歌に真摯に入り込むための「対話」に他ならない。本大会にこそ「甲子園の本質」、つまり「相手を倒す」のではなく「敬意をもって相手の立場に思いを寄せる」という「平和への基本」が「言葉」をもって成せるということがわかるのである。

この大会から巣立った「みなと(OBOG)」の成長もよろしく
次回大会から「朗詠に長けた人への賞」の設置も発表された
「若者と短歌」先週金曜日の宮崎日日新聞にインタビュー記事が先週掲載されていた。


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