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今は亡き人と素敵な・・・盆ギリ迎え火

2023-08-15
「素敵なlovely night
 老若男女が熱い魂で
 呑めや歌えの迎え送り火」(サザンスターズ『盆ギリ恋歌』より)

「盆と正月」などと言われるが、その過ごし方も昭和の時代と現在では、また都会か地方かなど地域の上でもだいぶ変質しただろう。一昨年『日本の恋歌とクリスマスー短歌とJ-pop』(新典社選書108)を上梓したが、明治以降の西洋文化受容の中で「クリスマス」が各時代の情勢に利用されるように国策や商業主義を反映したものであることを論じた。ある意味でこの「西洋文化の容れ物」を、実に便利に恣意的に利用してきたといってもよいだろう。それなら「盆」は果たしてわたしたちの中でどのように「生きて」いるのかも考える必要があるのではないか。「今此処」に「わたしが存在する意味」を家族とともに対話する時間が、この国にはあまりにも乏しいのではないのか。

妻の実家にお盆に行き「迎え火」を炊いた。2年前に他界した義父の魂やご先祖様とともに、宴を楽しむ一夜である。空間に放たれる炎というのは、この世とあの世を繋ぐ不思議な形を僕たちの視覚に映し出してくれる。「お盆」がただ厳粛な形式的なものではないことは、サザンオールスターズの新曲「盆ギリ恋歌」を味わえばよくわかる。時代とともに失われてしまう生活風習と、失うべきではないわたしたちの存在の拠り所があることを考えさせてくれる。愛情で繋がり合う家族・親族にも、それぞれ個別に様々な葛藤が存在している。故に「盆踊り」も「呑めや歌え」もあるわけで、形骸化してはならない「盆義理」があるのだ。

「あの日」のように食べて呑む宵のうち
わたしたちが拠り所にすべきものは何なのだろう?
サザンの鮮烈なロックサウンドが実は一番大切なものを教えてくれている。



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