「コンバート」に成功した憧れの人
2023-06-27
ロールモデル=「(他者の見本となる)役割モデル。」(『ランダムハウス英和大辞典』小学館)このような人になりたいと上を目指す意志
分野などが違ってもその姿勢から学ぶものは大きい
中学・高等学校の専任教諭をしていた頃、「大学教員になりたい」と言うと「なんで中高の先生ではいけないの?」と疑問を投げかける人が何人もいた。確かに大学学部を卒業した頃は、「教育現場こそが面白い!」といきり立って教員になった。実際に高校生との熱い青春時代の延長のような仕事は楽し過ぎるほど楽しかった。だが10年ほどしてさらに学びたい、研究を活かして生きてゆきたいと思えるようになっていた。いわゆる人生の大きな「コンバート」であった。「コンバート」という外来語が、僕の中に大きな指標として樹立している。それは「野球で、専門の守備のポジションを変えること。」(『日本国語大辞典第二版』)と辞書にある。それは小中学校の時に憧れた「ロールモデル」と呼べる存在が、胸に焼き付いているからだ。
その名は「高田繁」、ちょうど昨日放映されていたNHKBS「球辞苑」が「コンバート」をテーマとしており、77歳となった高田さんのインタビュー映像が流れた。青いグラブ、強肩を活かした送球と俊足巧打、僕にとって巨人の背番号「8」は高田さんしかいない(現監督も現役時代は「8」であったが)ほどに思っている。左翼手として「塀際の魔術師」と呼ばれ本塁打を捕球するほどの好守を見せていたが、1975年当時に打率の低迷に苦しんだ。折も折、球界一の好打者・張本勲さんがトレードされ「左翼」の位置に来るという窮地に、長嶋監督の進言で「三塁手」に急遽コンバートされたわけである。当時は野球雑誌でその苦闘の姿を読み漁ったが、常にクールに自分ができる可能性を信じて取り組む姿勢に大きな憧れを抱いたものだ。野球少年だった僕は、いつか「コンバート」に直面したら自分も前向きに生きようと学んでいたのであった。
自己の可能性は自らが開く
野球から学ぶものは技術だけではない
僕の中ではいつまでも「高田さん」は輝いている。
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