想像が展開する歌〜第382回心の花宮崎歌会
2023-06-04
結句ができすぎているダメ押し意外性が乏しく一読して広がらない
できすぎ・わかりすぎるから展開がある歌へ
定例の第一土曜日、心の花宮崎歌会が開催された。社会全体がコロナ禍から解放されつつある中で、対面歌会の意義をあらためて実感する。出詠46首、得票は5票1首、3票2首、2票10首、1票13首、可能性無限大20首という結果であった。冒頭には伊藤先生の「今月の2首」の鑑賞がある。今回は5月20日に熊本県御船町七滝に建立された河野裕子さんの歌碑の歌が取り上げられた。先月5月20日に、歌碑除幕式と記念講演会が現地で開催された。講演者は吉川宏志氏「河野裕子の歌う風景」伊藤一彦氏「河野裕子のふるさと」永田和宏氏「河野裕子のおくり物」の3氏である。伊藤先生は歌碑に刻まれた「たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり」について、この歌は「琵琶湖」だけを詠ったものではなく、結句にとらわれずむしろ第四句までの核心的な表現を読むべきだという鑑賞を提起した。「近江」の部分にはどんな地名を入れることも可能であり、「真水」というのは単に「淡水」というより「真の水」と解せるのではないかという読みである。御船町でも「なぜ琵琶湖を詠んだ歌碑がわが町に?」という疑問があったようだが、その思いを払拭し思いを拡げる読みが提起できたというお話であった。
冒頭の鑑賞で語られたように、解釈にも「単線的な理解」で終わってしまうと歌が拡がらないことがわかる。歌評に入っても「わかりすぎる歌」という指摘が、伊藤先生から随所に為された。これは宮崎歌会の通例であるが、「意外性」や「想像の展開」が欲しいと補足されていく。5首選をする場合も、まずは10首ぐらいに絞りそこから最終的に落とすのはこの要素が無い歌であるという。具体的な描写でありながら、読者にたくさんの想像をさせる表現にしていく必要があるということ。選者4名の5首選には、やはりそのような「展開」が読める歌が採られている。「言葉」は社会的に通行せねば、その役割を果たし得ない。しかし、文芸はその基盤のさらに上層部で「拡がる想像に誘う表現」が求められることになる。歌会終了後には少人数ながら、かつて毎回行なっていた居酒屋で懇親会。あらためて各自の歌を皆さんで読み直し、歌会での「一首の力」の大きさを確かめ合う時となった。
三十一文字が立ち上がりさらに飛び立つために
なおしかし、やり過ぎで「肩肘張らない」ように
歌仲間が集まる1ヶ月1回の貴重な時間が再び平常化しつつある。
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