母と離れるときの顔
2023-05-26
父が入院する病室まで行けない母と僕が声をかける
その瞬間の寂しそうな表情は僕が幼稚園のときのよう
父がいささかの手術が必要だという診断を受けて、1週間程度の入院をすることになった。診断を受けたのは3月、術前検査を4月に受けて順番待ちであったのだろう、この日を迎えるまでに2ヶ月以上を要した。高齢になるとなかなか自らの身体の状態を本人が把握するのも難しいが、父にとっても大変に不安な2ヶ月であっただろう。当初は手術への拒否反応もあってか、なかなか精神的に落ち着かない様子だった。だが次第に本人も身体上の苦しみもあったのだろう、僕からも「病院を信じればいい」という趣旨の話をしてようやく気持ちも落ち着いて来た。何よりそばにいる母は、毎日のように父の葛藤によるイライラにも付き合い説得的な対話を続けて来た。こうした意味で、本当に父は幸せ者なのだと思う。
新型コロナ5類移行後ながら、入院に際しての付き添いはナースステーション前まで。僕らも検温消毒に簡単なアンケートを施されつつも、この3年間で「ゾーニング」が明確化された病室には立ち入ることはできない。母と僕が見守るなかで病室に向かう父の表情は、なんとも寂しそうな顔をしていて僕の眼に焼きついた。ついつい思い出したのは僕自身が幼稚園に入園した当初、送って来た母から離れられず泣き出すことが多かったときの自らの表情である。もちろん、その時の「自分の表情」が見られたわけはない。だが当時の写真とか母から聞いた話とかで、僕自身がどんな泣き顔を見せていたかを想像する機会が大人になってから多かったからだろう。まさに「母から離れるときの顔」のイメージを僕は持っているのだ。我ながらこれこそが「文学的想像力」なのだと思うのだが、「国語」ではこんな力を多くの子どもたちが身につけて欲しいと願う。それにしても、父の一瞬の表情と自らの遺伝子的な類似がこんな場面で顕に露出するのかという心を揺らす発見であった。
手術はそれほど時間を要さず
父がさらに楽に幸せに生きるための1週間
母の偉大さをあらためて感じる機会でもある。
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