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「大切な人」とはどんな人か?

2023-05-11
「この人と生きることが、自分の生きる意味だと感じられるような人」
「いつか、その人に最後の『おはよう』を言う日が来る。」
(若松英輔『読み終わらない本』KADOKAWA 2023・P28)

先月、親友が「大切な人」を亡くした。それから約20日間が経過したが、僕の中でもなかなか簡単にはその悲しみは癒えない。毎朝のウォーキングで海に祈りを捧げる際には必ず彼女を思い浮かべ、届かないかもしれないが「コトバ」を心のうちから投げ掛けるようにしている。それは「コトバ」の本質を考えるひとりの人間として重要な意味を持つ。冒頭に記した若松の著書に、その意味を教わっている。「僕たち生者は、この世界をあまりに生者の理屈によって動かし過ぎているように感じることがある。もし、生ける者が亡き者たちと共にあるのなら、彼らとの言葉を超えたコトバというはたらきによる対話を忘れてはならないのではないのだろうか。」(同書・P31より)

こうした意味でも、「短歌」は明らかに「コトバ」としてよまねばならない文芸だ。若松も「悲しみのあまり言葉にならないおもいが歌を生んだ。」(同書P31)として「歌を詠む営み」の始原を「挽歌」だと書いている。「さくら」を「亡き者たちの象徴」だとして、「姿を変えて存在し続ける『生きている死者』」(同書P31)だと思って桜の和歌を詠むことをすすめている。僕が毎朝、「コトバ」を投げ掛ける人に義父の存在もある。まさに「さくら」の時季に「一度きり」の意味を僕の「大切な人」である妻が経験したゆえに、僕は義父に「コトバ」による対話を続ける。この日は、非常勤先で「言語活動」を体験してもらうため唱歌「春が来た」を群読することで、その奥に「コトバ」があることに気づくための講義を展開した。「言葉は意味の一角しか伝えていない」(同書P31)本来は「国語」でこのことに気づく学びが必要なのだ。

「おもう」とはどのようなことか?
文芸は「その時、その瞬間に生まれるただ一度きりの『意味』」がある
やがて誰しもが自らも死者となるゆえ、大切な人におもいを届け続けるために。


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