「日常」を創り出すために
2023-04-21
人からの隔絶が求められた3年間飛沫・マスク・距離・手洗い・換気
まだまだ流行も懸念される中で「日常」を創り出す
この3年間、「日常」の概念が大きく変化した。メディアなどで囁かれてきたのは、「日常を取り戻す」という言い方だった。もとより季節性インフルエンザは、100年以上も近現代人を苦しめ続けてきた。約1000年前の『源氏物語』には「わらはやみ」(マラリヤ性の熱病)に光源氏が感染して加持祈祷を施すために京都北山に籠るという筋書きは有名である。人類の歴史において「感染症」は必然なものであり、むしろどう付き合うか?が常に問われてきたと考えた方がよい。人は独りでは生きていけない、それゆえに他者と接触しお互いに助け合って生きる。多くの動物にも仲間と相互扶助の関係が見られるように、人は「言語」という高度なコミュニケーション手段を持ち高度な助け合いの中で生きる動物である。
「思考」一つをとってみても、独りで考えていては視点が狭く高次元なものは生まれない。他者と話すことで、自分の殻の中だけでは考えられないことに気づく。他者とその違いを認識することで、「自分」というものも鮮明に自覚できるようになる。そんな交流がこの3年間は「隔絶」されてきてしまった。なるべく人との飛沫接触機会を減らすことが、唯一の感染拡大への対策と云われた。ここで書き連ねてきたように、人間が人間らしく生きるための「接触」が忌避されてきた。だが、新たな100年はもう始まっている。恐れてばかりいずに、「取り戻す」という後退ではなく「創り出す」という気概が必要であるように思っている。オンラインでは決して聞くことのできない、学生たちの生の声を聞くことのできる「日常を創り出す」、その意志を持とう。
「教室」での生の反応
マスクなき顔のあらゆる表情から得られる理解
ゼミ生たちを育てるための日常を創り出す
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