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かなしくなったときはー『寺山修司少女詩集』をよむ

2023-04-07
「なみだは
 にんげんのつくることのできる
 一ばん小さな
 海です」(寺山修司『一ばんみじかい抒情詩』より)

いま僕自身が研究の道に進みこのような仕事に就いているのは、確実に何人かの恩師の支えがあってのことだ。在学期間のみならず卒業・修了後も親交を深め、様々な話を聞かせてもらった「先生」が数人いる。その恩恵たるや、言葉では語り尽くせないほどだ。ふと考えると、いつしかその恩師と僕が出逢った年齢に僕自身が達するか超えたりしている。すると必然的に僕が思いを抱いていた「先生」と同様の存在に自らがなっていることに気づかされる。中高教員時代の卒業生たちは、SNSでつながっている者がいて時折その近況を知ることもある。非常勤時代に卒論を担当した学生たちはほとんどが家庭を持ちつつ、年1回の呑み会(最近はオンライン)を開催し続けている。そして現在の所属校で10年の時を経て、9回のゼミ生が社会に巣立って行った。

今年の1月、ある卒業生から連絡をもらった。その内容はどうやら職場で行き詰まっているようであった。宮崎ではない場所で就職しているので、すぐに会えるわけでもない。返信に「海でも見たらいい」という助言を、送ることしかできなかった。それは自らが若い頃から、行き詰まると必ず海に行って深呼吸をしていた経験によるものだ。間接的ではあるが卒業生が見るだろう海は、宮崎の海ともつながっている。そして人間の生命の根源・母なる海を感じると、人間社会の些細なことはどうにでもなると思うようになる。果たしてその助言でよかったのか?と思いながら『寺山修司少女詩集』を読み返している。「かなしくなったときは 海を見にゆく」やはり寺山もそう言っている。「どんなにつらい朝も どんなにむごい夜も いつかは終る」とある。卒業生は僕の助言を素材に、強さを感じさせる見事な短歌を詠んだことを昨日知った。

「一人ぼっちの夜も 海を見にゆく」
「海」は「産み」であり「倦み」であると寺山
卒業生と文学でつながっていることのこの上なき幸福。


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