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宮崎在住10年目の日にー生きる出逢いのすべてに感謝

2023-03-26
2013年3月25日、東京を発ち宮崎へ来た日
この地でどれほど温かい方々に出逢えたか!
そしてまた10年前に見送ってくれた東京の仲間たち

「10年ひと昔」というのは既に古い、という時代感が世間では囁かれる。だがやはり「10年」というのは生きる上でも大きなまとまりであり節目である。社会の変化の速度が上がったと言うならば、「5年×2」とか「2年半×4」とか考えてもよい。一つの「時間のまとまり」として回顧すれば、納得できることもあり後悔することもあり。さらに流れては止まらない自らの人生を局部的に俯瞰し分析したり思いに浸ったりできる。宮崎に来た10年前、僕は大きな希望を持ちつつも初めての地方暮らしや東京の仲間と離れることの愛惜などを抱え込みながら、今住んでいる自宅の近くの賃貸マンションの一室に入った。越して来た当日の2013年3月25日、何をしたか?確か桜が今年よりも早く咲いており、綺麗な所属学部の前の並木の光景を写真に収めている。夕食は今は無くなって焼鳥屋になった、マンションに隣接するファミレスで食べたような気もする。などと考えて妻と夜のウォーキングをしていると、「最初に逢った夜にファミレスで話したね」と妻が言った。

10年間のありがたき宮崎の数々の出逢いに感謝しつつ、東京で僕を送り出してくれた仲間のことも思い出した。この10年間は、明らかにその前の5年間・10年間と連なっている。博士号取得に自分のすべてを掛けた日々、そして取得後には公募採用へ向けて応募書類を出し続け「不採用通知」を考えられないほど受け取り続けた日々。その先行きの見えない不安をいつも支えてくれた、他業種の仲間たちの温かい眼差し。人生とは自分だけで翔ばねばならない空、泳がなければならない海であるのだが、鳥たちの「止まり木」のような、冷えた身体を暖める島のような、そんな仲間yと場所がどうしても必要なのであろう。もちろん根幹を支えてくれる妻や親や親族は大切だ、だが懐を深く苦しい空を飛び、荒波を越えて泳ぐには、支えてくれる人々の声が求められることを、この「20年間」で知った。温かく大切な関係を意識すれば、相互に「助けられた」と思っていることが少なくない。自らが「温かい気持ち」でない限り、「あたたかさ」には出逢えないということだろう。

「人生を楽しむとは?」
この10年間、さらにその前の10年間で少しわかった気がする。
いま再び原点を見据えて今日から宮崎での11年目が始まった!


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