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短歌と人とまちの話ー短歌みやざきシンポジウム

2023-03-18
「黒瀬珂瀾が詠んだ延岡を辿る
宮崎ぐるっと歌集化プロジェクト」
久永草太さんと三者による「まちと短歌」シンポジウム

令和4年度短歌みやざき事業の一環として、アーツカウンシル宮崎主催のシンポジウムにパネリストとして参加した。本年度の本事業の目玉は、前々回の牧水賞受賞者である黒瀬珂瀾さんが4日間にわたり延岡のまちを巡り歩き、詠んだ歌15首をQRコードで「まち」に埋め込んだ「歌集化プロジェクト第2弾」である。この日はまず黒瀬さんから「宮崎と短歌」と題して、延岡を中心に50分ほどの講演をいただいた。新型コロナの感染拡大で「文化が切り捨てられ国が暗くなる中で灯りのような文化」が必要と、「文化の記念碑」のような神楽との出逢いから話は起こされた。昨今の「短歌ブーム」と言われるなかで、「今の一瞬で人がつながる」ような歌がもてはやされるが、「長い人の営み」「すぐにはよくわからないけど心の底に沈着する歌」の存在にあらためて光を当てる必要があることを語った。「此処で一緒に呑んでいる仲間を横軸とするなら、過去の出来事は縦軸」であると云う。また「隣にいる延岡市民の姿は、遠い未来の人と一緒にいる」という歴史が伴うのだとも。「大きな土地の歴史と小さな人間の一瞬の時間」の中に短歌があるという点に、僕自身も大きな興味を抱く学びであった。

黒瀬さんとのシンポジウムでは、「今回の作歌が文語と口語のハイブリッド」である姿勢そのものが、前述の思考を表現するのに対応していることを述べた。どうしてもご時世として「短歌ブーム」が話題になるが、「エンタメ的な一瞬のあるある感情のような『わかる歌』」とともに、「純文学的で奥深く精緻な読みを求める歌」があると言い換えてみた。すると黒瀬さんの云う「土地鎮め」とか「地霊」などの問題とも関連し、相互の「言葉のシャッフル」が必要な時代ではないかという方向性が見出された。「まちと短歌」を考えるに、古典和歌にある「歌枕」との関連も考える必要がある。もとより「地名」に限らず、「紅葉に龍田川」など詠歌の素材になることで、次第に「土地と人の情」が重なり融け合うことで「歌枕」という美的感情の類型的な表出が蓄積されてきたと言えるだろう。「土地」には、長い時間に生成されたものたちが眠っている。それを「いま一瞬で自分と繋ぎ、受け継いでいくのが短歌の言葉」なのだという黒瀬さんの思いに呼応した。SNSとの相性から「ブーム」と呼ばれるが、実は1300年の歴史を生きてきた「歌」としてのスペックの一部が極端に閉塞した社会に風穴を開けようとしているのではないか。「ブーム」を否定することなく、上手く流れを掴みつつ「歌」と「土地」との繋がりの深さを考えさせられる機会であった。

第1弾「ニシタチ歌集化プロジェクト」(久永草太さん主催)
第2弾「黒瀬珂瀾が詠んだを辿る」(アーツカウンシルみやざき企画)
県内の土地に眠るものを短歌で呼び起せ!!!


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