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「話す」は「放す」ことでもある

2023-01-29
心の内に持つことは
誰かに帳面に短歌に「話す」
声や文字になった「心」は「解放」され自分の軸が定まってくる

珍しく仕事の予定がない週末を迎えた。冷える朝をややゆっくり寝て、時に身を任せるように過ごすのもたまには良い。昼過ぎから母と買物に出かけ、1週間分を目安に食材を調達する。母も至近のスーパーならば独りで買物に行けるのだが、やはり新鮮な野菜と精肉が購入できるスーパーを選んで行きたいという思いが強い。宮崎野菜と上質で良心的な値段の精肉などにより、自ら煮物などを作れる環境は、両親の健康を支えているように思う。正直なところコーラや甘い物を好む父の食生活には注文も多いが、それでも血液の状態が良いと医師に褒められたと云う。空気の良さのみならず、宮崎の生活環境は両親の健康長寿に大きな力を与えてくれている。

このような流れで、午後のひとときは暖かい陽射しが降り注ぐ自宅リビングで母とゆっくり話ができた。誰しもが年齢が上がるにつれて、先行きの不安がつきまとうのは当然であろう。過去の様々な岐路を思い返したりしつつ、現在の生活や今後のことなどあれこれと思いつくままに話す。「話す(はなす)」についてはよく短歌の座談などで、「放す」に通じる「やまとことば」であるという話題になることが多い。心の内に「不安」などがある場合、そのままにしておくと埃のように積もりに積もって自らの心身に不調さえきたしてしまう。ゆえに「放す」ために「声」や「文字」にして吐き出すのがよい。すると負のものはやがて「離す」ことに至り、心身が軽くなるものだ。良いものはいつまでも記憶に残り、次に進むための力になる。そういえば僕も中高時代に高価なノートに日記を書き続けていた。その際の「放す」は、どこか小欄の文章にも通ずる。そして論文・評論などの文章力として僕を支えてくれている。苦しい時こそ「放す」こと、さすれば必ずや光明が見えてくるはずだ。

夕食も両親とともに馴染みの洋食店へ
そして夜には著名な友人から宮崎来訪の連絡
1日中、「放す」ことで期待の新しい2月がやってくる。


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