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意識を超えてしまう地震と自然への祈り

2023-01-18
阪神淡路大震災から28年
関西地方には大地震はないという思い込み
その後の各地での地震を我々は経験して・・・

阪神淡路大震災から28年目の午前5時46分を迎えた。当時、兵庫に住んでいた大学の親友に地震の後に落ち着いてから電話連絡が取れた。彼はやや大阪寄りに住んでいたので、大きな被害も受けずに無事でまずは安堵した。彼は電話で「(揺れた際に)関東の方で大きな地震があったと思った。」のだと言った。どうやら「関西には大地震は起こらない」と思い込んでいたのだと明かした。9月1日が「防災の日」になっているように、「関東大震災」の記憶が昭和・平成と受け継がれて多くの人に影響を及ぼしているのだと知った。だが中世の古典『方丈記』(鴨長明)などを読めば明らかだが、歴史的には関西地方を大地震が襲うことは必然なのであった。たとえ高校古典で『方丈記』を教材として学んでも、どこか「他人事」で「過去の虚構」のようにしか思われていないのだろう。東日本大震災の津波にしてもそうだが、平安朝の記録にまで遡れば経験があった事態なのだと言える。

この28年間で中越地震・東日本大震災・熊本地震など、この列島は周期的に大地震を経験している。海溝型もあれば活断層型もある。日本に住む以上、何処にいても大地震を逃れることはできない。だが偶々、人生の中でそれを経験するかどうかによって意識が違ってしまう。50年単位で揺れていない場所では、再び「他人事」となってしまう傾向が否めない。東京で東日本大震災の大きな揺れを経験して、もし関東大震災級の首都直下型が起きたら大変なことになるという意識が僕の中に芽生えた。その後の大学採用公募については、地方を選択する率が高まったのは確かだ。そして宮崎に移住して10年、もちろん宮崎でも日向灘に大きな震源はあり歴史的には大地震に何度も襲われている。多く警鐘が鳴らされている「南海トラフ」においては、南限の震災想定域でもある。ヒット上映の新海誠「すずめの戸締まり」で語られているように、自然神はいつその扉を開いて大きな揺れをもたらすのか?僕らにはわからない。ゆえに自然の声にも耳を傾け、日々「揺れない大地」に感謝して生きねばならないのだろう。

「大地が動けば地震と驚くが、動かぬ大地になぜ驚かぬ」
山よ海よ、今日もまた穏やかに温かく我々を見守りたまへ
毎朝のウォーキングで行く丘で青島を見て祈りを捧げている。


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