部活動こそ受験や将来に役立つ理由ー「自己開発」の経験として
2023-01-16
社会で活用できるちからとは机上であれこれ考えるより現実の経験こそが考えを拡げてゆく
真に「活用できる学び」とは・・・
「部活動の経験が受験に役立った」昨日の小欄に記したことの背景と後日談の続編。高校3年生の折に志望校を受験することを表明すると、担任は「部活動を7月までしていたのに到底無理だ」といった趣旨のことを三者面談で告げた記憶がある。加えて「滑り止めを受験せよ」というススメがあった。だがその進言を僕は、受験講習会で出逢った著名な英語の先生を慕い、その先生の母校である志望校しか目指さないと徹底的に突っぱねた。担任はその先生の英語を「受験英語で本当の英語ではない」などと理屈を言って、自らを正当化しようとしていた。だが高校3年の僕はその先生の講義を微塵も逃さず毎週聞き続けることで、これぞ「受験を超えた学問」なのであると悟っていた。それは今現在考えても、僕の考えに理があると判断できる。どんなに著名な先生であっても、前向きに学ぶ姿勢で直接に向き合うことの大切さを学んでいた。
志望通り母校に合格した際の実感は、前文冒頭に記したことだった。部活動顧問や中高一貫の中学担任の先生は喜んでくれたし、校長などは手のひらを返したようにその後の全校朝礼等で「文武両道こそが大事」と僕の例を教訓に語っていたと云う。より厳密に考えれば「部活動の経験が」という点に注釈が必要だ。「部活動で不可能を可能にする体験を多く得た」「部活動で時間を有効に使用するコツに目覚めた」「部活動(特に器械体操部)で危険を顧みず前向きに挑戦することの尊さを知った」ということだろうか。中学校の野球部の時から「野球が上手くなるにはどうしたらよいか?」と常に考えて練習や日常の鍛錬をすることを身につけた。この習慣は即座に学習方法にも反映し、学校での成績上位につながり、大学受験勉強の際の計画にも役立った。要は部活動の経験で「自己開発」できるちからを、僕は自ら養っていたのだ。高校の際にあまり僕の意志を認めてくれなかった教師の存在は、僕が今でも「教育」に問題意識が高い文学研究者である契機にもなっている。人生とはどのような出会いが功を奏するか、まったくわからないものである。
高校教育・大学受験が真に「自己開発」に意義あるものであるか?
この問題はこの国の将来を担う若者の資質・能力に大きな影を落としてはいないか
「日本の凋落」が現実になりつつある今、肝心なのは将来を担う若者をどう育てるかである。
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