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『すずめの戸締り』の舞台・宮崎ー新海誠作品とわたしたち

2023-01-08
映画舞台のモデルになる場所
妻の実家の日南市でいつも見ている光景
「坂道の出逢い」が『天気の子』では僕の実家の最寄駅

子どもの頃から限定したアニメ(コミック・週刊誌・映画)しか観ることはなく、むしろあまりに空想的すぎて観るに耐えないと思ってきた。『巨人の星』『ルパン三世(特にTV初放映版)』『宇宙戦艦ヤマト』など、どこかでそれぞれの世界の真実を考えられるものだけを好んできた。ここ最近は話題になっている新海誠作品に、同様の「真実」が感じられそうで自然と観たい気にさせられている。しかも、最近公開された『すずめの戸締り』は主人公が暮らす街のモデルが宮崎県日南市では?と評判である。地元紙・宮崎日日新聞もこの件を記事にしたが、既にアニメファンの間では「聖地巡礼」と呼び、作品の舞台らしき地を訪れる旅行などが流行りつつあるらしい。元日の朝は日南市大堂津海岸で初日を拝み、朝食後にはめいつ港が見下ろせる高台を散策した。まさにその坂道の光景は、『すずめの戸締り』の中で主人公が恋する人に出逢う重要な場所である。細部や複合条件は虚構で仕立てられてはいるが、妻の実家を訪れて僕が大変に気に入っている光景に類似した場所が、映画内で鍵となっているのには驚いた。

「驚いた」と書いたのは、単純に一致したのみではない。前作『天気の子』では、やはり主人公が大切な人と出逢い再会する「坂道」があった。そのモデルとなる場所が、僕が生まれ育った実家のある最寄駅の南口である。山手線内でもこれほど渋い場所はきっと他にないと自負できるほどの駅舎で、かつては芥川龍之介なども往来した「田端文士村」の一角である。そう!なぜ前作が僕の生まれた地の坂道で、今作が妻の生まれた地の坂道なのか!偶然とはいえあまりにも僕たち夫婦は、新海誠作品において恐いぐらいの奇遇により結びついている。作品の内容については詳しい言及を控えるが、クライマックスと感じた場面に覚える自然で理由なき感涙という二作品の共通点にも酔った。この列島で起こる災害は、単純に「自然の猛威」というだけでは済まされない「真実」があることを作品は訴えている。虚構と思われる部分を超越し、自然を崇拝しなくなってしまった我々の無責任が突きつけられる思いがする。若山牧水の短歌に「古代的なアニミズム(万物有魂論)」を読む指摘があるが、「自然との共生」という意味でも宮崎が舞台となり、また都会らしくない都会である僕の実家付近が舞台になることの意味と結びつくようも思う。あらためて「自然」とは何か?多くの方々が新海誠作品からその「真実」に目を向けるべきだろう。

この宮崎の自然豊かな光景
しかし綺麗な海の底には大地震を引き起こす震源もあり
僕たち夫婦の自然との向き合い方やいかに。


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