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見えないことを見えるように

2023-01-07
「見えないことは存在しないことではない」(「交通教本」から)
(鷲田清一「折々のことば」2606 朝日新聞より)
「『見えない』ということは『わからない』ということで、この自覚がないと事故が起こる」

Twitterで話題になっていたので朝日新聞「朝日新聞連載・折々のことば」を読んだ。哲学者である鷲田の書くものには興味を持って読んで来たが、著書『日本の恋歌とクリスマス』の「待つ」という概念の基準に据えるべく引用もさせていただいている。しかし、哲学的なことばは学術書の中だけにあるわけではないことを、今回のコラム連載は教えてくれた。運転免許取得や更新時に教習所で配布される「交通教本」に、そのことばは掲載されている。自動車を運転していて運転席から「見えないもの」は「存在しない」と意識しない運転手と、「存在する」と予測する運転手では明らかに前者に事故の危険がある。僕自身も運転する際に、バスの物陰から歩行者が飛び出すとか、右折の対向車がトラックで見えない先から二輪車が飛び出すとか、可能な限りの予測をして運転するようにしている。正直なところ、他者の運転する車に乗って思わず足を踏ん張ってしまうことがあるが、それは前述の「見えないけれど飛び出すかもしれない」という予測なき運転者の車である。「見えない」は己のみの意識であり「存在しない」とするのは身勝手な自己完結である。

「見えない」に限らず「聞こえない」も同様のことかもしれない。「聞こえないことは存在しないことではない。」はずだ。父の誕生日ということもあり、大変に久しぶりに懇意にする洋食屋さんに出向いた。コロナの感染拡大もあるが、僕や妻があまりに忙しく、洋食屋さんの営業時間内に両親を連れて行くことができない日々が続いた結果である。この間、洋食屋さんの店主夫妻は僕ら家族をどれほど意識し、お互いに話題にし「待って」いたことだろうか。思わず僕はそんな店主夫妻の様子を想像して「見たり」、会話を「聞いて」みたりすることがある。久しぶりにもかかわらず、笑顔で「お元気でよかったです」の言葉を聞いた時、僕は店主夫妻の心がこの間も僕らに向けられ「存在しないことではない」ことを悟った。この厚情を思えば、再び「常連」と自ら思えるように足を運びたくなる。東京ではよくご無沙汰であると、怪訝な態度を取る店主などもいた。だが宮崎では「見えないことは存在しないことではない」という密度で、関係を結ぶことができる店が多い。「見えないことは見えないように」「聞こえないことは聞こえないように」というように、世間では誤魔化しがあまりにも横行する。自動車事故を防ぐためのみならず、豊かに生きるためにこのことばを活かしたいものだ。

見えないものを見えるようにことばで創る
聞こえないものを聞こえるようにことば大切に
閉鎖的「見えない」「聞こえない」からは新しい未来は見えない。


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