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情に厚いとはどういうことか?ードラマの断層

2023-01-06
NHK朝の連続テレビ小説「舞いあがれ」
主人公の育った町工場が発展し「株式会社IWAKURA」
されどリーマンショックの苦境の中で・・・

ドラマをどう観るか?そこに心の豊かさがあるように思う。朝の連続テレビ小説は、実に小刻みであるが短いゆえに人間の情の断層が詰め込まれている。その断層面の地層をいかに読み解くか?史実としてのモデルがいる場合もそうでない場合も、虚構を読んで現実以上の真実を導き出すのが心の豊かさと言えるだろう。昨今、こうしたドラマへの「クレーム的批判」がSNSに渦巻くと聞く。僕自身がSNSを覗いたわけではないが「現実にはあり得ない」とか「主人公の言動は考えられない」などだそうだ。その背景には、小中高の「国語」の授業において「文学」の扱い方への偏向があるのではないかと一要因に数えたくなる。さらに大きく言えば「このように生きねばならない」に同調させる「学校」という装置の教え方である。一方で「多様」と言いながら、一つの「道徳観」に収斂して教えてはいないだろうか?その結果、多くの人が疑いもなく「マスク」をつけ続ける土壌ができていることにも連なる。「文学」「ドラマ」「映画」への閉塞的な見方の横行は、この国を矮小化させ自己完結できないのに自己満足する危うい感覚を醸成するのではないか。

現在放映中の「舞いあがれ」に話を戻そう。主人公はパイロットを目指し就職も決まるが、リーマンショックで1年延期。幼少の頃から両親の苦労を見て来たゆえに、その苦労に報いようとする。町工場を夢を持って大きくして来た両親の会社を1年間手伝う選択をする。一方で主人公の兄は、東大出で企業コンサルタントとして名を馳せており両親の経営方針が危ういので「工場を早期に売却」することを冷たく提案する。受験勉強に明け暮れ「効率第一主義」で育った兄と、身体が弱かったが両親や祖母の愛情で育った主人公とは、ある意味で「町工場」で育った子息の両極な性質が与えられている。この筋書きには、僕自身が両親の経営して来た会社を見て育ったことと大きく重なる部分が多い。こんな状況で、「株式会社IWAKURA」の工員である結城章が他社から給料倍額を提案され家族を養うことを優先し会社を去る決断をする。主人公の父は彼にどう対応したか?新しい仕事でも技術を発揮していた結城を引き止めるのか?昨日の回で父は、結城を「(他社から誘われるほどの)腕になって誇らしい」と言って退職届を受理する。結城もその情に感涙し感謝して会社を去るという場面であった。「情」だけでは会社経営はできない。だがしかし、真に「情に厚い」とはどういうことか?そして「仕事」とは何か?を深く考えさせられた。

多様な生き方・考え方を尊重するとは?
2000年代の新自由主義的な社会の中で
「連続テレビ小説」が訴える小さなメッセージの断層を読みたい。


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