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「刻々と『今』は『過去』に」なるから新しい

2023-01-05
「葉の間(あひ)にいちやうの緑(あお)き実の見えて新しき過去かがやくごとし」
栗木京子・第十一歌集『新しき過去』(短歌研究社2022・9)より
新しく生きるために「今」を逃さぬように

昨年は既に「過去」であるが、昨年の短歌や歌集を読むと更新され「新しき過去」になる。年末から読む『短歌年鑑』とか短歌雑誌新年号にある歌や歌集評に触発され、栗木京子『新しき過去』を読み始めた。栗木さんは牧水賞選考委員でもあり毎年の授賞式でお会いする機会も多く、懇意にする歌人のお一人である。お話しすれば気さくであり、この歌集に歌があるように「都内足立区」にお住まいで僕の親戚などが住むので親しみが深く話題も尽きない。昨年9月に出版された歌集であるが「逃していた」という気にさせられ、新年早々に購入した。「逃していた」思いをそのままにすれば「悔恨」のみのままだが、「今からその過去を新しくする」感覚を持つべきことを歌集は教えてくれている。冒頭に記したのが歌集名となった一首であるが、植物の成長していく姿を我々が見るのは、常に「新しき過去」なのだと気付かされる。

歌集あとがきによれば「過去は古びたもの、と捉えがちです。けれども、『今』という瞬間は向こうからやってきて目の前を刻刻と通り過ぎてゆく。そう考えると、過去はつねに更新されてゆくような気持ちになります。」とその思いが記されている。既に元日の初日出も三が日の家族での楽しい食事も「過去」とはなったが、僕らにとって一番の「新しき過去」である。初日に願い、榎原神社(日南市)に祈り、思い描いた希望を持って「今年」の5日目をいま生きている。誰しもが「変えたい過去」があるかもしれないが、それは「今」を大切にして「刻刻と通り過ぎる」一瞬一瞬を更新することで来たりくる時間を更新できるのだ。その「今」に錨を下ろし、ことばに刻むのが「短歌」というパッケージということになるだろう。作品となった短歌は現実以上の真実として「新しき過去」となり文字としての輝きを放つ。そこに多くの他者が解釈という「聲」を与えることで、さらに更新され「過去」は「過去」でなくなるのだ。

僕らは「過去」を変えられる
できることはただひとつ「今」を無駄にしないこと
生きること 人間の時間 「今年」をどんどん「新しき過去」にして行こう。


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