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質問はクレームにあらずー考えを擦り合わせること

2022-12-23
質問や意見を言うことは先方への敬意
双方の思いが擦り合わされて考えが先に進む
質問のできる学生を育てるために

大学学部・大学院を通して母校から学びを受けた大きな点は、「質問をする姿勢」かもしれない。研究室での発表においても学年や年齢を問わず、妥協のない質問がくり返される環境で育った。学部の指導教授は自説に安易に迎合する発言などをすると、大いに𠮟咤されたものだ。大学院では現職教員として在籍した僕だが、むしろ学部卒院生と平等に扱って欲しいといった趣旨を願い出ていた。年齢は下となる研究室の先輩方は、まさに妥協なく僕の研究発表に厳しい質問や意見を提示してくれて大いに鍛えられた。研究発表をして見解を提示すれば、必ず少なからず疑問が伴うものだ。疑問を呈されて初めて、自分の主張の妥当性とか甘さを自覚できる。「culture(文化)」には「耕す」という語源があると受験英語の単語集で学んだが、まさに研究は「耕され」てこそ「文化」に昇華するわけだ。よって僕自身も心がけていることだが、母校の先輩後輩は研究学会でもよく質問をしている。学会に参加する意義は、「質問・意見」を言ってこそと思う。

「質問・意見」を言うことを欧米の文化では、「先方に敬意を示す」ことだと捉えられる。主張を精密に捉え尊重するがゆえに、「質問・意見」が出るというわけである。ところが日本社会では「質問・意見」を「クレーム」と混同してしまう人々が少なからずいる。よく会議の発言でも冒頭に「異論があるわけではないのですが・・・」と断りを入れる人も目立つ。反対に「質問・意見」は相手の主張を敬意をもって「開墾」するためのものだが、明らかに「否定ありき」で反論されるとズラしながら「否定し続ける」ような場面に遭遇することがある。いずれにしても「主張する者への敬意」なき、「質問・意見」の物言いに思えて潔さがない。「擦り合わせる」という言い方があるが、物理的にも当然ながら摩擦が生じる。その「摩擦」はむしろエネルギー源になり、主張する者を活性化させる力になるものだ。「擦り合わせる」ことで主張した者も、「質問・意見」を述べた者も、それまでに気づかなかった点に気づくことができる。これでこそ初めて「対話」と呼べる創造的な向上になるわけである。ゼミを始め日常の講義で、学生たちにも適切に「質問・意見」が言える資質を身につけさせることは、大学での学びの大きな役割だと自覚している。

意見が言える環境を作ることも
相互に「質問・意見」が出ない予定調和な「報告」では
少しでも物事を前に向けて動かすための「質問・意見」こそ平和をつくる。


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