あらゆるものは繋がっている
2022-12-12
何処に住むのか?という選択伴侶に似たような繋がる必然
生きるうえでの天命を考える
肖像写真をみるに然り、甚だしく親しみを覚えるのが若山牧水である。研究室の机の正面となる壁に肖像を掲げているので、日々見上げるたびにそう思う。それは単なる贔屓の思い込みだと感じていたが、どうやらそうでもないらしい。牧水を慕い研究対象としていることは必然であり、宮崎に来る以前から「繋がっていた」と言っても過言ではない。東京は文京区「護国寺正門前」の交差点から、東の方角を見上げると丘の上に立つマンションが見えた。分譲中であるのが何となく気になり、モデルルームを訪ねるとトントン拍子で購入するに至った。東京23区で海抜が一番高い交差点に近く、12階の部屋であったため西側の窓から富士山の眺めが大変によかったのも魅力の一つであった。居住中に管理組合の理事長も2期務め、オーナーや管理人の方とも親しい関係を結んでいた。玄関前の踊り場からは、東京スカイツリーが次第に高くなって行く過程が見えた。博士号を取得し大学教員になりたいという人生の野望が、大詰めを迎えている大切な時期にこのマンションで約7年間を過ごした。その結果、なぜか宮崎への赴任に導かれることになった。
牧水の書簡集を読んでいて、「小石川東京病院の隣であった仕事場」を発見した。第7歌集『秋風の歌』には「病院に入りたし」という連作があり、この「仕事場」で詠んだ歌とされている。隣の病院の窓を意識し、そこに居る看護婦と顔馴染みになることなどが歌に詠まれている。この「牧水の仕事場」こそが前述した僕が宮崎赴任前に住んでいたマンションの場所そのものなのである。牧水は当時、巣鴨から大塚あたりに何箇所かの居住地を転々としている。思い出されるのは、ともに新しい時代の詩歌を目指そうとした盟友・石川啄木の死に臨んだことだ。「啄木終焉の地」というのもまた、僕が中学校時代によく野球の試合で訪れた茗荷谷から小石川方面にある中学校にほど近い場所にある。盟友の死に際しあれこれと奔走し見送った牧水、その足跡のある街を僕は尽く知り尽くしているのである。探れば探るほど、牧水と僕の繋がりは必然とも思えて来る事ばかりだ。運命論によく云われる事だが、人間のあらゆる出逢いは繋がっている。牧水が東京で如何様に過ごしていたか?僕はそれを描く必然な運命を背負っているようだ。
「今日」は気づかないことを「明日」気づくことも
そして気づくためにあれこれと前向きに生きる必要がある
あらゆるものは繋がっている、誠に不思議でならない宮崎での10年目なのである。
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