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砂浜を使って刻一刻と消えてゆく歌集

2022-12-05
「日南海岸を短歌で埋め尽くそうプロジェクト」
短歌を人間の肉声として海と陸の接点である砂浜に描く
伊藤紺さん・手塚美楽さんらの短歌を流木の枝で琢刻する

宮崎大学短歌会の学生が「令和4年度県民芸術事業」に採択され、仲間をスタッフとして集めて展開した事業の開催日であった。内容は冒頭三行に記した通りで、場所も僕が大好きな青島海岸である。朝からは生憎の雨、数日の体調不良も癒えてきたのだが身体の回復を第一に考え、行けるかどうかを慎重に判断していた。10時を過ぎるとやや雨も小止みになったので、防寒着を十分に着込んで「砂浜の短歌が消える前」に家を出た。現地に着くと陸地と違う海風の強さと寒さを感じざるを得なかったが、防寒着のおかげでそれもクリアー。学生たちには「走って来たみたいな格好ですね」とむしろ元気付けられた。すでに何首もの短歌が青島に向けてかかる「弥生橋」のたもとから海岸線を北へ向かって山側から海側へ向けて一首が書かれている。長い棒のようなものにスマホなどのカメラを装着したり、工夫を凝らしながら学生たちも楽しんでいた。

ゲストにお呼びしていた伊藤紺さん・手塚美楽さんにもお会いできて、「自分の短歌が砂浜に書かれる嬉しさ」を語ってくれた。伊藤さんはブランドや雑誌への寄稿・ファッションビルのリニューアルコピーなど活動の幅を広げる歌人。また手塚さんは、芸術表現専攻の大学院生でもあり文章表現による制作も行なっている歌人である。学生たちに促され流木の手頃な枝を手渡され、僕も手塚さんの短歌一首を砂浜に描いた。文字は「啄刻」するのが、より本質的な表現の方法であろう。デジタル化の中で筆記具で文字を書く機会さえ少なくなった昨今、「地球に文字を刻む」感覚は重要だと思った。道具も流木、僕らの「ことば」はあくまで自然の中にある。となれば、印刷された書籍が「消えない」と信じているのも幻想に過ぎず、僕らの存在そのものが大自然の中では刹那であり無力と言わざるを得ない。本来は安易に「後世に残る」はずもない「歌一首」を僕たちは「今ここ」にいかに刻み付けるのか?そして1300年も歌い継がれたものがあるのか?砂浜に書き付ける行為は、僕に様々なことを考えさせた。

砂に書いても「僕の文字」は「僕の文字」だった
満潮が近づき結句の方から描いた短歌は次第に消えてゆく
自然と言語表現ー牧水、いや古代からの「やまとうた」として考えておきたいこと。


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