「班長われは」ー宮崎市内一斉清掃
2022-11-21
先週から雨で延期「朗読&トーク公演」で伊藤一彦先生が班長と知る
雨上がりの朝、落ち葉がアスファルトにしがみつくのだが
落ち葉が路上に目立ち始めるこの時期に設定されているのだろう、宮崎市内一斉清掃が1週間延期で実施された。ちょうど先週の「朗読&トーク」公演で控室で談笑していると、伊藤一彦先生やチェロ奏者の方も自治会の「班長」になっており「一斉清掃」の話題になった。通常は朝8時から「一斉清掃」なので、リハーサルのために10時半集合であったことから、とりあえず「中止で時間に余裕ができた」と笑い合った。僕も昨年度は班長であったが、やはり一定の軒数の方々の手前に責任感が生じるものだ。「班長」となる以前はあまり意識も高くなく、「一斉清掃」への参加もほとんどしない「非協力的な班員」だった。今回は特に伊藤一彦先生も「班長」として責任を果たしていることを実感し、その具体的な光景を想像できた。たぶんあの大きな声で班員の皆さんに挨拶し、和やかに清掃を進めているだろうと。「宮崎市内一斉」ゆえ、僕自身も同様の思いができていることに幸せを感じることができた。
清掃の目的は主に落ち葉の除去である。この朝は雨上がりで落ち葉が水分を吸って重く、アスファルトに貼り付いてなかなか剥がれない。竹製の箒や熊手を持参した方が、その効力をいかんなく発揮していた。それでも全てが取りきれる訳ではなく、植え込み内に残す落ち葉もある。清掃をしながら考えたが、本来は「落ち葉は土に帰る」はずだ。僕らが清掃して集められた落ち葉は、「燃やせるゴミ」となって焼却される。特に水分を吸った落ち葉には、焼却にも余計に燃料が必要になるだろう。地球規模の温暖化や燃料費の高騰を考えるに、果たしてこれでいいのか?という疑問も感じた。これは僕だけではなく、一斉清掃をしている班の方々も口々に話していたことだ。宮崎市内でも舗装されていない道路を探すのは大変なぐらいであるが、街路のアスファルト化そのものを問い直す必要があるのだろうか?何はともあれ、班に割り当てられた道路上は綺麗になり、一斉清掃の効果が目視できる薄日がさす日曜の昼下がりになった。
街を綺麗に保つちから
確か伊藤先生の短歌に「班長われは」を結句とするものがあった
居住地域を生活しやすく保つための協力が必要だろう。
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