教員研修のち442年ぶり月食&惑星食
2022-11-09
1580年織田信長の時代以来442年ぶり人間の小さな営みと天体たちの動きの偶然
今日もまた宮崎の教育と短歌のために
442年ぶりなどと言われると、どうしても見逃せないもののように思い何度も空を見上げスマホカメラのシャッターを切った。写るのは次第に欠けていく月の姿であって、442年ぶりという「天王星食」は肉眼ではほとんど捉えることはできない。自宅には軽量な双眼鏡ぐらいしかなく、過去にいただいたカタログギフトで「ワイングラス」にせず「天体望遠鏡」を選べばよかったと思う唯一の夜だ。月食となっている終盤の時間帯にいつものウォーキングコースに出向いたが、玄関先に出て来て撮影をしたり、庭の椅子に座って夜空を見上げている人たちがいた。次回にこの組み合わせが観られるのは、西暦2300年代とのこと。442年ぶりが「織田信長の時代」まで遡ることを考えると、次回はどんな日本人がどんな意識でどのような方法でこの「天体ショー」とやらを観察するのだろう。もしやスマホに「天体望遠観察機能」などが搭載されてやしないか?いや、果たして地球の温暖化でそれまで人類は現状を維持できているのか?未来への想像も膨らむ。
この日は朝から、附属中学校に於いて「教員研修」講師を務めた。宮崎発「短歌県の授業実践」を提唱して久しいが、テーマは「和歌短歌の主体的対話的深い学び」とした。県内の中学校・高等学校の先生方8名、学部「教職実践演習」の学びの機会としてゼミ4年生が1名。合計9名の受講で講習が開始された。午前中は同僚教員から、古典和歌教材や『百人一首』の学習実践に関する内容、午後は僕の担当で近現代短歌単元の学習と創作についての活動を実施した。僕が目指したのは、ともかくこの機会に参加した先生方に必ず短歌を一首詠んでもらうこと。「生徒たちに短歌創作の指導ができない」という声を現場から多く聞くが、「指導書的」な技巧があるわけではなく自らが短歌を作り他者から解釈・批評される経験をするしか道はないのである。歌の多様な解釈、共感できたり良い点を批評し合う楽しさ、そんな歌会の良さを十分体験してもらうことができたようだ。短歌は「1300年の言語文化的な営為」といつもの「標語」をくり返したが、「月食&惑星食」にも劣らない長大な歴史的営為の中に参加した先生方を巻き込んだと言ってよいだろう。
宇宙にある地球という天体に生きている我
宇宙は何ら意志があるわけでもなく偶然を重ねているだけ
あらためて露の一滴のような人間の生命に思いを致す。
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