桑田佳祐ライブ「お互い元気に頑張りましょう」が意味するもの
2022-11-03
2011年9月10日・11日東日本大震災から半年、そして自らの病気療養からの復活
あれから11年、今回もやはり宮城セキスイスーパーアリーナで開幕
東日本大震災が起こったのは、僕がちょうど中高専任教員を辞する3月であった。新年度4月からは先の見えない非常勤講師生活、不安がないわけではなかったが、自分の持ち時間が全て研究に注ぎ込める希望で心を支えていた。勤務校では卒業式も簡素化、もちろん「送別会」などはまったく無し。自らの社会的アイデンティティ(存在理由)が、浮遊して宙に浮いたような感覚を抱いた。そんな中で4月を迎えるが、非常勤先であった母校大学の講義開始は1ヶ月延期となった。その際に抱いた思いとしては、「誰かのために役立ちたい」という切実な祈りに似たものであった。よほど東北の被災地にボランティアに出向こうかと考えたが、あれこれと情報が錯綜するうちに瞬く間に1ヶ月が過ぎてしまった。ある意味でこの時には「自らの命はどうあるべきか」など、哲学的に果てしないことを考えるようになっていた時期でもあった。マンション12階の自宅書斎が震度5強によってほぼ全壊状態、東京に在住していることそのものを深く考え直す機会でもあった。もちろん東北で被災した方々からすれば、他愛もない些細な困惑に過ぎないのであったが。
半年後の2011年9月10日・11日の2日間、宮城セキスイハイムスーパーアリーナで桑田佳祐さんがライブを敢行すると聞いた。この際は宮城のみでの特別なライブ開催でったので、行きたい気持ちがかなり募った。だがしかし、前述した4月頃の自らの行動を省みるに、このライブは東北で辛い思いをした方々のものだとチケットエントリーなど全てを躊躇した。ボランティアさえも行くこともなく、非常勤講師として細々と自らの研究に向き合う自分が甚だ矮小な存在に思えた。ライブの模様は、さらに約1ヶ月後にBS契約局で放映された。その際の激しい情動を僕は忘れることができない。桑田佳祐さん自身も自ら大きな病を克服し、復帰して最初のライブという意味もファンとしては実に大きなことであった。病への不安を抱えた身体を賭して、震災後に苦しむ東北の地で歌う桑田さんの映像。僕自身はさらなる情けなさを覚えつつも、「研究で身を立てる」と決めたからにはとようやく前向きな気持ちになれた。その後は論文に向き合いつつ、公募採用を目指して日々の格闘が始まった。それから約1年後、数限りない応募の末、ようやく複数の大学から面接に呼ばれるようになり最終的に現勤務校に採用された。僕にとって2011年9月の桑田さんの宮城ライブがあってこそ、今があると断言できる。11年後の今、ようやくあの時訪れたかった宮城の地で、桑田さんのライブを観る機会が訪れた。
今回のツアータイトル「お互いに元気で頑張りましょう」
11年間の僕自身の「存在理由」を胸に深く抱きつつ
本日は万感の思いを込めて宮城・仙台の地に向かう!!!
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