真似事ハロウィンの危うさ
2022-11-01
渋谷駅前スクランブル交差点の狂騒韓国の人出集中の悲劇
公的な「祭典」なき国の無秩序な受容の危うさ
お互いに早目に帰宅できたので妻とともに、クリームシチューと鮭の味噌焼きなどを作り思いのほか華やかな夕餉になった。やや肌寒さを感じるようになった時季、シチューの温かさとトロみが身体を柔らかくする。調理の段階から協働作業であったので、洗い物も順次済ませておき早々に自由な時間ができた。食休みを経て妻と恒例の夜のウォーキングに出かけた。いつもながら静かな住宅地にはほとんど「ハロウィン」の喧騒な無く、かろうじて子どもがいそうな家から笑い声がした程度だった。「10月31日」Web情報に拠れば「古代アイルランドのケルト人を起源とする祝祭で、現代はアメリカ合衆国で民間行事として定着したもの」のようだ。重要なのは「キリスト教」の祭典ではなく、「クリスマス」とも性質を異にするはずの祭典であること。ここからは僕の見解だが、本来の「祭典」としての意味を失い、雑種的に他国で民間定着した行事は「乱痴気騒ぎ」になりがちだということだろう。ある意味で「米国的」ともいえる「騒ぎ方」を、西洋文化に憧れを持つ他国がその「容れ物」だけを受容し、より「乱痴気騒ぎ」になる傾向はないだろうか。明治以降の「クリスマス受容史」を短歌によって追った自著では、こんな「文化論」のあり方を指摘した。
僕たちが幼少の頃は、微塵も行われもしなかった「ハロウィン」だが、その名が日本に知られたのはやはり「悲劇」からだったと記憶する。米国留学中の若者が当夜に仮装して隣家に侵入したところ、当家の主人が不審な者と勘違いし銃で射殺したという事件である。銃社会の危うさはもちろんだが、「祭典」の曖昧な受け容れ方にも大きな問題を感じる事件である。自著で参考文献にした書籍に拠れば、「ハロウィン」の浸透により「クリスマスの乱痴気騒ぎ」が分散したという指摘がある。80年代までの日本では、「西洋の祭典」の浸透は「クリスマス」が専らであった。「バレンタイン」がそうであるが、こうした「祭典」の定着には「商業主義」が必ず関わっている。洋菓子関係とTDL(東京ディズニーランド)の影響が大きいだろう。今や幼稚園・保育園での仮装の実施や、スポーツジムのレッスンでも仮装で参加する人が多くいるのを目の当たりにしたことがある。さらには「渋谷スクランブル交差点」での常軌を逸した「乱痴気騒ぎ」にまで発展した。そして今回、韓国繁華街での悲劇などを誘発する事態になった。考えなくてはいけないのは、民間の中には「祭典」が必要なのだ。家族の単位から地域の人々との交流、文化の継承の上で「祭典」の役割は重要である。元来その国にある「意味の解り得る祭典」が失われつつあり、その代行行事として混沌とした「米国の祭典」に群がる民衆。今こそ「文化論」として「祭典」のあり方を、整理して自らを省みる時なのかもしれない。
秋が終わり冬を迎えるという趣旨
日本文化の中にも多く埋め込まれた季節のうつろひ
コロナ禍で抑え込まれていた力が噴出したような世相にも用心しなければならない。
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