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記憶とは個の解釈に他ならず

2022-10-30
なにをどれほどの精度で記憶しているか?
遺しておきたい記憶・消してしまいたい記憶
記憶とは個々人の解釈なのだと知る

今月の週末は学会出張が2週連続、さらに公開講座となかなか忙しかった。久しぶりにゆったりした週末となったので、母との買物もじっくりできた。ちょうど「29(肉)の日」にあたり、良質な肉が3割4割引で並んでいた。特に今回「肉牛の部」で全国4連覇を達成にあやかり宮崎牛も大幅割引だったので奮発してサーロインステーキを買い求めた。この週末の買物は、宮崎の食材の良さを確かめる機会でもあり、また母と会話が進むよい機会でもある。平日はなかなか仕事ばかりに専心することになり時間が取れないゆえ、週末の時間は貴重である。それでもやはり、遠く離れることなくともに同じ場所に住んでいるというのは息子として安心感がある。両親が東京在住時もLINEや電話でのやり取りはあったが、やはり直接の会話ができるというのはいい。両親も「宮崎で生活できているから長生きできている」と言ってくれており、まさに「老後の地方暮らし」を僕の仕事の流れが演出してくれた形である。

せっかくなので買物には行かない父を交えて、しばし話をする時間を持った。普段は話し相手のいない父も、僕がいると諸々と過去の記憶が蘇るのであろう。高齢になると記憶を掘り返すような行為が脳に刺激となり活性化すると聞いたことがある。果たして、どんなことを言うのだろうかとそのまま話したいように話すよう促した。中には母としては思い出したくないような内容もあり、幾度か母も制止したが僕はそのまま話すように促した。聞いていて発見したことは、「記憶」は個々人の「解釈」によって刻まれているということ。ある意味で当然のことなのだが、我々は概して「記憶」が誰しも同様で違わないと思い込んでいないだろうか?「国語」の授業で扱う「登場人物の気持ち」に「正解」があるかのように、「記憶」にも唯一無二の「正解」があるように思い込んでいる。だが眼前の風景でさえ、個々人の思考の傾向を反映し多種多様な記憶として刻まれることを再確認できた。「登場人物の気持ち」は教材の表現を元に筋を外していなければ多様な「解釈」が許容される。延いてはあらゆる「他者の話」というのは、その人の「思考フィルター」を通した「解釈」なのだと思うべきだ。まさに「父の思考」はこのようであったのか!と納得する部分が濃い回想話であった。

個々の記憶が違うからこそ
擦り合わせる対話が必要になる
多くの家族が両親と語る時間を少しでも取れますように。


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