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旧き友はタイムカプセル

2022-10-19
「性」=「生まれながらの心」
あの頃と変わらず堅実に生きている旧友
人生の縮図は20歳前後にあるのだろうか?

「タイムカプセル」よく小学生がカプセルにメッセージなどを封入し、20歳の自分へ送り届けるために校庭の土に埋めるなどという「遊び」をすることがある。果たして10年前の自分がどんなことを考えていたか?を知るのは興味深いことだ。小学生のみならず人生の随所で、そんな「時間保存」の営為があると人生の指標になるかもしれない。なぜ指標になるかといえば、昔日からの時間的距離を実感し、「現在の自分」がどのように変化したのかを自覚できるからだろう。こうして前日に得たであろうものを文章に記すということは、少なからず新しい明日に「進歩」を志したいからだ。では「日々の進歩」が蓄積したら、大きな変化になるのかどうか?データ主義の時代であるが、人間はなかなか自らの人生をグラフなどで俯瞰できるものではない。「志」=「心が上へ向かう」ことを念頭に持ちつつ、「生まれながらの心」というものがあるようにも思う。

山口への出張の際に、大学学部時代の旧友と25年以上の時を経て再会した。この機会を逃したら「一生会えない」かもしれないという、強い決意を持って彼の所在や連絡席を探し求めた。いつからか年賀状も途絶え、たぶん探せば見つかるはずだが大学時代の名簿には実家の住所や電話ならあるかもしれない。いやいやこの時代はWeb検索という便利なものがあるゆえ、クローゼットの段ボール箱を掘り返すよりはスムーズに探し当てることができた。大学学部時代から実に堅実で誠実な人柄の旧友は、地元山口県で県立高校教員を地道に勤め上げていたのだ。彼の発言や発想、状況への対応などは大学時代と変わらず、人の性質はそう簡単に変化するものではないことを感じさせた。前述したように「進歩」などという意図は持ちつつも、もしかすると僕自身も当時から「心のあり様」は変わらないではないか?という気になった。文学にも芸術にも取り組み、社交的に様々な場所でリーダー役をこなし、人と人との繋がりを大切にする生き方。「性質」とは生きる環境ではなく、「生れながら」なのではないかと旧友の生き様に悟る機会となった。

タイムカプセルのように友は大切である
「いずれ会える」ではない「今逢う」のだ
あらためて旧友の大切さを実感する機会であった。


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