面白くないものを読まぬことー中古文学から中原中也まで
2022-10-17
研究発表にどんな興奮を覚えるか対面学会のその場に来る文化継承の意義
そして様々な協議と中原中也生誕の地へ
地方で研究学会大会を開催する思いは、5年前に経験したので痛いほどわかる。何より思うのは、「これほど準備を重ねてきたのだから、1人でも多くの人にご足労願いたい」という一点だ。僕の場合は、奇しくも時節外れの台風に見舞われ申込のあった参加者が大幅に減少してしまった。そんな条件でも心を寄せて、東京から全陸路とめげず必死に来てくれた研究仲間もいた。今回も未だ新型コロナ感染拡大の余波がある中、多くのご苦労があったのだと懇親会で担当の先生と話して身につまされた。それにしても恒例で配布される大会参加名簿を見るに、申込をしていても会場にいらっしゃらない方々が多く、「大会」にしては寂しい人数であったことが気になる。コロナ以前なら、この「大会」でこそダイナミックに中古文学が語られていた印象がある。会場のライブ感として「発表や議論が緊張感があり面白い!」と、行かずにはいられない雰囲気が貴重だ。もちろん今回の個々の発表者も頑張っていたのだが、「録画視聴」があると「それで観ればいい」となるのだろうか?通常のTV録画でもリアルタイムで観ないと、興奮の度合いが違うと思うのは僕だけだろうか?あらためて「対面学会に集まる意義は何か?」が問われた気がする。そこに貴重な文化継承の場があるといっても過言ではないだろう。
研究発表会後、諸々と打ち合わせなど済ませ、宿泊地にほど近い中原中也記念館に赴いた。あらためてその詩才の豊かさと、山口の地が産んだ自然との共鳴のような存在理由を理解できた。本日の標題「面白くないものは読まぬこと」は、愛書家の中也の基本的な姿勢であったと云う。展示の中に若山牧水を読んでいたという発見もあり、牧水について次のようなコメントを遺している。「牧水は面白いです。あれには「生活(くらし)」があります。くらしのないものは駄目なのです。」(「歌壇外に聴く」『日本歌人』昭和10年7月号より)何より文学は「面白い」ことが肝要だと、あらためて中也に教えられる。そして初期は「短歌」からスタートしたことも興味深く、萩原朔太郎がそうであったように近現代詩人の原点に「短歌の韻律」がある基本的な存在理由を確認できたようにも思う。「面白く」て夢中になって読む本、それが文学の原点でもあろう。翻って我々は「中古文学」を、「面白く」世に伝えられているのだろうか?今一度、僕自身が「面白い!」と思えるものに、如何に向き合うか?中原中也のあの純な瞳に、教えられた気がしている。
夜になって地元県立高校に勤務する旧友と再会
25年近く会わなかった歳月を実感する
それにしても人生は「面白く」生きたいのものだと再確認した一夜となった。
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