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「日記文学」とは何か?ー書くという得体の知れない欲求

2022-10-16

朝から宮崎ー福岡ー新山口ー湯田温泉
中古文学会秋季大会「日記文学研究の現在」シンポジウム
そして懇親会まで

小欄は「日記」なのだろうか?ほぼ毎日のように更新し、それなりの年月を続けている。朝起きた際に、前日の出来事で脳内に残っていることからテーマを決めて書き綴る。時系列でもなく「カテゴリー」別に分類され、関連記事が画面にも並ぶ形式だ。もちろん「テーマ」を書くために、虚構を配したり調べて書くことも少なくない。時折、これほどの時間と労力による蓄積になるならば、「一日一首短歌」を続けたらよいとも思うこともあるが簡単ではない。それでもなお、既に「書かずにはいられない自分」をこの文面に発見する。このように「得体の知れない書く欲求」が、文体や短歌との関連を意識しつつ文章を綴らせる。冒頭に記したように「中古文学会秋季大会」に参加した。果たして「平安朝日記文学」とは、どのように理解され研究されてきたか?何が当時の人々の「書く欲求」を刺激したのか?虚構性や私家集との関連など、3者による基調報告から自らが「書く立場」になって様々なことを考えさせられた。

敢えてこの日の行程を、日記風に書いてみよう。朝一番で宮崎空港を飛び立ち福岡空港まで約40分のフライト、霧島連山とか雲仙普賢岳の様子が手に取るように見られた。地下鉄で2駅を移動して、新幹線指定席特急券・乗車券を自販機で購入。朝食もままならず家を出たので、「早弁」ならぬ駅弁を買い込み新幹線車内で食べる。新山口駅でJR山口線に乗り換えると、宮崎同様の2両編成で降車の際に前の車両しかドアが開かない。会場校・山口大学のある「湯田温泉駅」で下車し予約した宿まで歩き、キャリーケースの荷物を預ける。山口市には若山牧水がまだ21歳の大学生の頃、帰省の折に山陽路を経由した際に立ち寄った瑠璃光寺がある。京都の醍醐寺・奈良の法隆寺とともに「日本3大名塔」にも数えられる名所だ。宿からはタクシーに乗り10分ほど、牧水の歌碑が妻・喜志子の書になる文字で刻まれていた。流石の名刹、牧水の当時も変わらぬ山に囲まれた静けさの中でこの塔を見上げたのだろうか。その後、近くにある県立美術館で「将軍家の襖絵・雪舟と狩野派」を展観。駆け足ながら、山口まで来た甲斐ある時間を満喫できた。最初にホテルで呼んでもらったタクシーの運転手さんが、電話予約で再び美術館まで来てくれた。山口大学の構内まで入ってくれて、もう料金はここでとメーターを倒したのち学会会場はどこか?と大変親切に巡ってくれたのが印象的であった。

学会終了後は宿近くのホテルで懇親会
「黙食」のちの「懇談」という構成ながら酒で喉を潤せた
その後、パネリストの一人の慰労会と称して山口の地酒を味わう宵のうち。


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