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冒険のごとく遊ぶー「探究」こそがこの国を救う

2022-10-14
穴の一番奥底(九)まで探り出すこと
予定調和な目的・意義・回答を目指さないこと
結果が見えていたら「遊び」ではない

新しく施行された学習指導要領では、「探究」という学びの方向性が示されている。受け身で「知識・技能」を身につけるのではなく、様々な活動を通して自らが学びに向かう力をもって進めていくということである。所謂「詰め込み教育」や学習に意欲的に向かわない傾向が目立った、我が国の教育の反省から求められた姿勢であろう。「探究」を学校現場で進めるためには、何より指導する教師が「探究的思考」を持たねばなるまい。という立場から教員養成系である所属学部の講義では、学生たちがこうした思考で学びを深めるような工夫をしている。昨日の講義(国文学史III)でも、『新古今和歌集』(実際には僕がある程度抄出したプリント)から任意の一首を選び「気になったこと(課題意識)」について「探究」してコメントするという内容であった。学生たちは予想以上に自ら調べ、当該歌の「本歌」についてとか勅撰集的な季節観をコメントした。講義時間の多くは学生からのコメントで占められたが、相互の「探究的発言」から『新古今和歌集』の歌風を徐々に奥底まで探り当てていくようで学生の姿勢に好感が持てた。「探究」の「究」の文字を分解すると、一桁最大数の「九」という「奥底」まで「穴」の中を探るという語源説がある。しかも「自ら探る」ことが肝要だ。

前述のような講義展開になったので、僕が事前に用意しておいた講義課題から変更し、学生たちの講義中のコメントを文章化するという課題に変更した。講義がまったく「予定調和」ではなくなったのだ。課題というと学生の誰しもが講義中に教員が話した内容に「忖度」して、判を押したように似たような内容を書いてくる課題レポートほどつまらないものはない。ちょうどこの日の朝に、Twitter上にあった茂木健一郎氏の発言動画を観た。「脳にとっての遊びの大切さ」を説いており、「人生は、結局、どれだけ真剣に遊び続けられるかだと思うんだよね。」と呟いている。「結果が見えているのは遊びじゃない」として「忖度」こそが「一番遊びから遠い」のだと云う。確かに「学校の学習」には「目的・意義・教訓」ばかりが予定調和的に仕込まれている。その結果「教員の答えに忖度する」ことばかりを、この国の教育では子どもたちに学ばせている。強権政治家と官僚の「忖度」が社会的な問題になったのも、ある意味で必然であるのだろう。「どうなるかわからない」(偶有性)のある現象・結果に向けて夢中に(茂木氏の云う「フロー」「ゾーン」)自らが没入するように探り続ける。この国を根本から建て直すには、真に教育現場で「探究」が叶うことこそが第一歩ではないかなどと、自らの使命を覚えつつ僕自身の「探究」を大切に生きたいと思う。

演習科目では自ら調べ、自ら資料を作り、
授業として成り立たせる
子どもの頃に図鑑とか草野球に夢中だった心を思い出したい。


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