銃弾と分断のなき社会へ
2022-09-28
銃弾により人の命を殺める非道塀を作りたて「こちら側」「あちら側」と分断する野蛮
多様で熟慮ある社会を我々一人ひとりが作り上げるために
かつての職場にこんな人がいた。闇のあだ名は「横綱」、恰幅の良さはもとより見えない権力の持ち主で多くの人たちがなぜか服従してしまう存在であった。管理職であってもたやすく逆らえない存在で、多くの人たちの弱みでも握っているのか?と疑うほどであった。本来なら正されるべきことであっても、誰も諌めることもなく我が物顔で自らの思い通りの言動を通していた。周囲にはその見えない力の傘下で擁護をしてもらおうと露わに擦り寄る人たちがいて、反発を持ちながらもお世辞しか言えない人たちが大半であった。ひとたびその人に嫌われたならば、職場の枠内に留まるのは難しいと思えるほどの存在。「私に従うのか?従わないのか?」という詰問的な圧を日頃から発している。もちろん僕も疑問に思うことが山ほどあったが、相撲取りならぬ「裸の王様」に「王様は裸だ!」という子どもにはなれなかった。「ムラ社会」的な因習なのだろうか?この国の社会には、公平公正よりも「見えない力」こそが社会を動かすと信じて疑わない通念が身近にも蔓延ってはいないだろうか。
今年の7月8日(金)、あってはならぬ銃弾による元総理の暗殺。深い衝撃と弔意を持ったのを忘れない。2月のロシアによるウクライナ侵攻以来、「武力による現状変更」という言い方を聞くようになった。近現代史で2度の世界大戦という蛮行への反省の先に、今の時代は立つ。だが未だに「武力」から脱却はおろか、他者排斥のような状況で行使されている。「蛮行」という言い方もよく使われるようになった。「前近代的な粗野で乱暴なふるまい」という意味だが、あくまで僕らは「ペンは剣よりも強し」と信じて社会を構成しているはずだ。「話し合いで解決できる社会」ではありながら、前述した「見えない力」に支配される事例が後を絶たない。「ガキ大将」が「子分」たちを囲うように、「従うか?従わないか?」とされた分断社会。今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に見る抜きん出た功臣を殺めて力を維持するような方法が、現代においてあってはならないはずだ。だが「近現代」という概念自体が幻想であるのかもしれない。僕ら一人ひとりがどう考えるか?「近現代社会」を支えるのは、その「民」の力なのだと信じていたい。
考えよう語り合おう
「見えない力」には溺れないことだ
東京の何人かの親友が伝えた状況を静かな宮崎で聞いた1日となった。
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