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若山牧水先生没後94年にあたり

2022-09-17
昭和3年(1928)9月17日
今年こそは「牧水祭」が開催予定であったが
台風への配慮で各自で偲ぶことに

昭和3年9月17日の朝方6時30分、主治医の診断を受け葡萄糖注射と100ccほどの酒、卵黄に玄米重湯を口にした牧水。7時20分になり冷や汗が出て心拍が上がり呼吸は浅く昏睡状態に陥った。強心剤の注射も反応がなく、家族・親族・友人・門下の関係諸氏に見守られつつ、末期の水に代わる酒に口を湿させつつ静かに安らかに何ら苦痛もなく午前7時58分に永眠したと云う。この日が来る前の約1ヶ月間は主治医と妻・喜志子は相談し、食事とともに「大好きな酒」は少々ずつ飲ませていたと云う。以上は、主治医である稲玉信吾医師が「病況概要」として記していたものによって知ることができる。94年目の命日に当たる今日、まさに牧水が旅立った時間に重ねて僕は小欄を書いている。43歳という現在にすればあまりにも早逝であるが、生涯に8000首の歌を遺しこの世の自然と親和性のある境地を歌によって切り開いた。牧水はきっと「死」も恐ろしいとは感じていなかったであろう。

新型コロナ感染拡大でこの2年間は、牧水生家のある日向市東郷町坪谷での「牧水祭」は大々的に行われず、若山牧水記念文学館や顕彰会の方々などの内輪で歌碑への献酒が行われてきた。前述したいまわの際にあっても好きな酒を嗜んでいた牧水に、今日もまた「酒」を献じようという深い愛と意志が感じられる。今年こそは3年前までのように「牧水祭」が開催される予定であったが、台風の接近によって諸方面から来訪する方々の安全性も考慮され中止となった。最近、あらためて第一歌集『海の聲』を読み直して感じたことだが、自然の摂理には抵抗することなく流れに乗れ、というのが牧水先生の教えである。今回の台風もこの連休にかけて九州を縦断しそうだが、その大雨によって厳しい状況となるかもしれない。だがしかし、それは自然の摂理とそれに逆らってきた人間が招く所業なのではないか。「牧水」の「牧」は周知のように「母・マキ」の名前から、そして「水」は故郷の「坪谷川」のことだといわれている。さらに言えば、「水」は「海」に注ぎ海面から蒸発し雲となり雨となり台風ともなる。大雨は大地に浸み込み、草木は潤い地中には新しい命が生まれる。今にしてようやく「SDGs」などと盛んに喧伝されているが、明治・大正期から牧水先生は、自然との向き合い方に警鐘を鳴らしていたのだ。

大型で強い勢力の台風
それは我々人類が肥大化させてしまったのかもしれない
今日は自宅でゆったりと安全を確保しながら牧水先生を偲びたい。


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