苦労は人を優しく支える
2022-09-14
言葉にならない苦労を乗り越える経験相手の立場を考えられるということ
「人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから」(『贈る言葉』)
「苦労は買ってでもせよ」「可愛い子には旅をさせよ」いずれの諺の核心から、程遠い時代になった感がある。親が習い事や早期教育の線路を敷き、安定した温室栽培のように育てようとする。スポーツに取り組む子どもにも親がお膳立てをして、様々な助力に躍起になるのも普通の光景になった。受験とあれば学校や塾が過保護なほどに関与し、「入れるところ」を探し当ててあてがわれる印象さえある。「旅をさせよ」というからには、「新幹線」や「飛行機」に乗せるのではなく、「自らの足で道無き道を開拓する」という意味が込められていたのではないか。思わぬアクシデントにも自ら対応し、苦しくとも歩き抜く先に初めて自分しか見えない人生の灯りが見えるものだ。親も学校も塾も、その子の行く末までいつまでも過保護にしていられる訳ではない。「鉄は熱いうちに打て」というように、若かりし頃に真の「苦労」をする場面が社会から喪失したような気さえする。くり返すが「苦労」とは、非情なる道無き道に立たされるということだ。
母からのラインに「(この日は)祖父の命日で82年になる」とあった。日付は意識していたが、「82年」というのにはあらためて驚かされた。若山牧水が今年で「没後94年」なので、わずか「12年」しか違わないことになる。牧水も43歳と早逝であったが、祖父はさらに30代での夭逝であった。僕の母がまだわずか4歳、7歳の姉、2歳の弟、0歳の妹と4人兄弟で祖父が逝去後の苦労は想像を遥かに超えるものであったようだ。しかも時代は第二次世界大戦に突入するという、社会全体が苦しい中でさらなる苦労が強いられたであろう。母と弟は親戚に預けられ、長女である姉が甚だ苦労を重ねたと云う。この幼少時に培われた姉妹愛は、僕の伯母(母の姉)が病気になった際に、幾度となく東京から新潟まで看病に通う姿でその厚情を知った。祖父も伯母についても、こうして母と僕が語り合うことで供養になると思う。母は自らの長生きに感謝をしつつ、祖父や姉への思いを抱く。その母が乗り越えた人生の延長上にしか、僕自身の人生もなかったことを心して生きていかねばなるまい。
大切な人を思うこと
そして思い続けること
僕自身はどんな苦労をしただろうか?と胸に手を当てながら。
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