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忘れたい記憶 忘れない記憶

2022-09-12
21年目の9.11
そのとき何をしていたかを多くの人が記憶する日付
人の中で記憶はどのように選別され保存されているのだろうか?

既に21年が経過した9.11米国同時多発テロ、世界の多くの人が「その(報を知った)とき何をしていたか?」を記憶すると云われるほど、歴史的衝撃的な事件であった。10年後、日本では3.11東日本大震災が起こり少なくとも東日本に住んでいた人は身に危機が迫る記憶として、そして映像で知った西日本の人もこの列島で生きることの危機感を記憶に刻んだ日付であろう。身に危険が及ぶかもしれない事件・災害、思い出したくもない方も多いであろうが、このような記憶は確実に人々の脳裏に刻まれる。いずれも「生命の危機」という「現実」を、各々が身につまされて経験するからだろう。いわゆる「忘れない記憶」ということになるのだろうが、人は内容によってどのように選別整理して、物事を記憶しているのかと考えさせられる。

休日にして久しぶりに、父とじっくり話す時間を取った。病院のこと日常生活のこと、世界で僕にしか伝えられないことがあるという思いで話した。誰しもが老いの身体については不安があり、自分自身のことながらよくわからないこともある。その不安に寄り添えるのは、まさに家族だけであろう。話していると僕が鮮明に記憶していることと父が記憶していることに、差があることに気がつくようになった。過去の記憶を掘り返すのは、老いた頭には有意義であると聞いたことがある。人生というのは、生身で生きた当事者にしかない記憶があり、反面で家族として身近に接してきた側から見た記憶、と二つの局面があるのではないだろうか。確かに僕自身も、「忘れたい記憶」を上手く消し去って人生を前に進めてきたようなところがある。父も10年と経過しないことよりも、中学生時代のことを覚えていたりで甚だ考えさせられる。少なくとも僕の場合、小欄を書くことで記憶の定着度は倍加している。また日常を短歌にすることで、記憶が定着し文学的に拡張するような感覚があるのだが。

やはり「ことば」こそが人生で大切だ
語り合う機会を折あるごとに持つべきだろう
自らの人生の記憶をどのように活かしていこうか。


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