「私」個人を離れた歌ー第373回心の花宮崎歌会
2022-09-04
冒頭に伊藤一彦先生鑑賞二首「共感を呼びやすい歌」=「常識的で限界がある」
一点に絞り事実関係を示した歌 等々
先月はあまりの感染拡大に、通信投票のみとなった宮崎歌会。今月は対策を取りながら対面の歌会が戻ってきた。だがこの期に南海上に変則的な動きを見せる台風11号があり、前線が刺激され宮崎地方は急激な豪雨や雷雨が続いていた。その影響もあってか、参加者は通常よりも少なく互選票の投票者(投票歌に批評のコメントを述べる)も出詠者も「欠」の多く付く詠草となった。今回からの試みとして、冒頭に伊藤一彦先生が選ばれた【今月の二首】が始まった。今回は高野公彦氏と武藤善哉氏の歌を引き、短時間ながら作歌に参考となる内容が語られた。「ウクライナ侵攻」の歌も数多くある中で、高野氏の歌は「プーチン」という「人間をもう一度見直す」視点が提起されている。世界の多くの人々が彼に「憎悪」の思いを投げるな中で、「人間」として見つめる視点が新鮮だという。それでもなお「作者は憎悪を抱くのが読める」とするが、評ともども絶妙な歌である。また武藤氏の歌は、「人間の文明への視点」があり「『私』個人を離れた歌」も作ると作歌が拡がりを持つというお話だった。
出詠43首、互選7票1首、4票2首、3票3首、2票4首 1票10首、可能性無限大23首という結果であった。選者は伊藤一彦・大口玲子・長嶺元久・俵万智(5首選のみ歌会は欠席)の4名。主な議論の焦点は、「シンプルでわかりすぎる歌」への疑義で「共感を呼びやすいが常識的で限界がある」ことが何首かの歌を対象に語り合われた。また反対に「わからない歌」、三十一文字の表現からは意味が十分に伝わらず解釈ができない、「謎の深すぎる歌」への言及もあった。前述の鑑賞2首の歌も、至って意味内容は捉えやすい。だが読めば読むほど、その内容に奥深さや展開、考えさせられる内容が湧き出てくる。そんな共感と驚愕の「短歌の中庸」を、目指すべきなのだろう。歌会は2時間半近くに及び、心配された豪雨や雷雨にも見舞われなかった。未だ講義形式の座席で席間を空けているのだが、座を囲み議論しさらには懇親会までが楽しくできるのはいつの日のことのなるのだろう。そう考えつつ、1ヶ月1回の貴重な時間を噛み締めている。
選者5首選の発表でお開き
再び来月の歌への思いを募らせて
久しぶりの来訪者も参加する充実した宮崎歌会であった。
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