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夏は終われど命は時間

2022-08-31
暑さも思い出となり
喩えようのないせつなさを伴い夏は終わりを告げている
かつて自分を失っていた頃、「波乗りジョニー」で目覚めたことも

今や小中学校は、8月25日ぐらいに新学期が始まる。既に本学学部の3年生は附属小中学校で実習が始まっており、僕が朝のウォーキングをすると横断歩道の安全見守りの方が黄色い旗を持って現場に向かう。空はやや高いように見え蝉の鳴き声は絶え、夜の叢には虫たちの合唱が始まった。真夏には影を潜めていた蟻などは活発になり、家の近くの電線では百舌が甲高い声で鳴いている。自然の微妙な変化を意識できるようになった宮崎生活では、東京在住の時よりも夏の終わりのせつなさが和らいだ気がする。それは喧騒の時間の中に独り取り残された孤独感が消えて、自然とともに生きられる安心感があるからだろうか。かつて「夏の終わり」が他のどの季節の終わりより、せつなくつらく感じていた時期があった。どこか「季節の流れ」のせいだと思い込んでいたが、それは自らの生き方に納得できない不全感があったようにも思う。「夏が終わっても何ら成果もなく秋を迎える」、日本文化的な視点ならば「悲しき秋」を迎え「斜陽」の時へ向かい始める。そんな時、桑田佳祐「波乗りジョニー」の曲を声が枯れるまで歌い、新たな自分に生まれ変わるべきだと「神に誓った」夏の終わりがあった。

それから20年、夏を無駄にしない生き方が次第にできるようになり、こうして宮崎の自然と親和性をもって夏の終わりが迎えられるようになった。手元の『ほぼ日手帳』を見ると、本日のページに次のようなことが記されている。「俺たちは絶対に、何をしても、1秒前には戻れない。どんどん時間は流れていって、やったことは取り戻せません。命は時間、時間の無駄遣いは命の無駄遣いです。」とある。今年の夏も相変わらず忙しさに追われ続けているが、お盆には東京の親友夫妻が宮崎を訪ねてくれ、新型コロナの不安も各自が身を護ることで払拭し楽しい時間を過ごすことができた。19歳の頃から親しくなった親友が宮崎を素晴らしいと訪ねてくれたことは、過去のあらゆる僕を乗り越えて現在が最上であることを肯定するかのようであった。こうして感染症や社会そのものに不安が多い中でこそ、「命は時間」を深く意識して生きたい。8月1カ月が見通せる手帳のページは、あまりにも予定が多い。むしろ夏の終わりの今こそ、ようやく自ら静かな思考ができる時期を迎えた。今や秋の空気も大好きな自分になった。

精一杯やった自分を讃えつつ
親友との時間に全力な自分も好き
「命は時間」今日もまた素敵な8月を見送ろう。



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