オンライン脳ー教室の感受性・共感性と表情
2022-08-30
「オンライン脳」とか「スマホ脳」などの指摘「感受性・共感性」を失うなどWeb上の孤独とリアル感の喪失
そういえば笑わなくなった表情なき教室の光景が気になることも
現首相が新型コロナに感染し、「オンライン」を通じて「執務再開」という報道があった。公開用のオンラインがあると同時に、閣僚らとも「オンライン」で会談をしたのだと云う。特に後者の内容は政府の機密情報が含まれるため、首相官邸に閣僚らも足を運び同じ建物の中での「オンライン」だったという記事も読んだ。今年度前期になって感染状況の如何に関わらず「対面」という方針となったが、ゼミをオンラインにすると構内から参加する学生もいて類似した環境を体験したこともある。この2年半、常に考えて来たのが「オンライン」と「対面」で何がどのように違い、どんな正負の影響があるかということだ。思えば3年目となるコロナ禍にして、現大学3年生は入学式も行えず直後の授業開始も1ヶ月遅れた、2年生・1年生となるにつれて「対面」の率も増えたのであるが、既に高校時代からオンラインを経験した世代となる。少なくとも「オンライン講義」であると、「教室」で講義前後に雑談するとか声かけすることができない。自ずと学生との距離が縮まらない印象が、僕の中にも渦巻いている。
冒頭に記した「オンライン脳」という指摘がある。端的にいえば「感受性・共感性の喪失」という症状が出るらしい。このコロナ禍で始まったことばかりではなく、以前からWeb上の「孤独」とか「全能感」の問題としても指摘されていたことの延長にある問題だろう。「同じ場所に居ない」ながら、音声や文字情報だけが大量に流れて来る。何を「感受」し何に「共感」すればよいか?オンライン講義で「ビデオ停止(自らの顔が映る画面をオフにして黒い画面に参加者名のみが表示される状態のこと)」で臨む場合に、「オンラインの向こう側」で学生たちはどんな表情をしているのだろう?自ずと講義をする僕らも、「感受・共感」している情報が得られず派生したことや雑談に及ぶことは避ける傾向にある。こうした講義の「受け方」に慣れてしまうと、一々反応をすることが億劫になるのだろう。今年度は「対面」で行っていても、「大教室」の講義などでは「反応の少なさ」を実感する。ましてやマスクで目しか見えないゆえに、表情が豊かであろうはずはない。「良い講義」を目指すには「感受性・共感性」に訴える点が不可欠だと、長年の教員経験から僕は知っている。「オンライン」の際も「学部ごとに反応の声を上げてもらう」などの工夫をしていたほどだ。中には受講者の一人が「ミュート(自らの声がオンライン上に流れないよう停止させること)」を忘れて、オンライン上に講義で扱った課題曲の歌声が流れたこともあった。当事者は「オンライン講義に迷惑をかけて」と課題で謝罪して来たが、実はこんな「共感性」が担当者としては嬉しかった。今後もあれこれ工夫を凝らし、「表情なき教室」に「感受性・共感性」を取り戻さなければならない。
マスクの仮面を被った無表情
ましてや「笑い声のなくなった教室」で
人間が人間たる最も大切な感性が失われようとしているのか。
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