オンラインはコロナのためならず
2022-08-27
地方在住研究者の学会参加夏季休暇中のゼミ生との対話
帰省した人も参加できる学生短歌会 等々・・・
「オンライン」「リモート」などという遠隔Web通信を表現する語彙が一般化したのは、明らかに新型コロナ感染拡大のお陰である。人と人との接触を避けて、Web通信で仕事や授業を行うことができる。たぶんそれまでもSkypeなどを始めとして、オンライン会議や対話に使用する場合もあった。だが「対面」でできるものは「対面」でと、オンラインが主流になるなど考えられていなかった。特に「大学講義」に関しては、「原則対面」の殻を破ることに頑なだった面もある。だがなぜか?感染拡大を受けて大学では特に”zoom”がオンラインの代名詞になった。(絆創膏を「バンドエイド」と呼ぶ次元程度)だが「オンライン」はそれ以前からなかった訳ではないことも、今まさに確認しておきたい。僕自身も2017・18年頃より「地域連携推進科目」において、9コマの「e-ラーニング」コンテンツを作成しており、今まで毎年のように稼働させている。6コマは「対面講義」というハイブリッド方式であるが、この経験は「オンライン講義」になっても全く困らなかった要因でもあった。
研究学会もだいぶ「対面再開」の動きがあるものの、未だ感染状況に左右されている。多くで「ハイブリッド」か「ハイフレックス」の方式を採用し、同時双方向によるオンライン視聴とか一定期間は動画配信が為される学会も少なくない。地方在住の僕などには出張費や移動労力の軽減になり、誠にありがたい方式である。同様に学会委員会などもオンライン開催が多くなり、これまた様々な面での負担軽減になっている。またこのような夏季休暇中にゼミ生が相談があるなどという場合、帰省先などからでもオンラインは誠にありがたい。メールのみのやり取りでは伝えられない趣旨を、画面越しに話すことで伝えることができる。昭和の感覚からすると自宅にドラえもんの「どこでも画面」(作品では「どこでもドア」だが)があるようなもので、僕らが子どもの頃に描いていた未来像を手にしているとも言える。もちろん短歌の歌会などの活動はオンラインと実に相性がよく、うちの学生短歌会はもちろん結社歌会などでも「オンライン」が行われている。しかし、皮肉なものでこのような「未来」を「コロナ禍」がなければ活用できていなかったと思うと、日本社会の意識の低さが情けなくも感じる。大学教学システムなどは、「原則対面」になった今も有効に活用して講義を行っている。「オンラインはコロナのためならず」、あらためて「元に戻る」という言い方に違和感を覚える要因だと確認しておきたい。
「捺印」も廃止で「電子決済」へ
お金のやり取りは「接触感染」が心配だからではなく「電子決済」が便利
その一方でWeb社会がもたらす偏りがあることなども僕らは注意深く対応せねばなるまい。
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